時←晴→靖

の、「野上彌生子、長谷川三千子の一族」に出て来る市河三喜の妻、穂積陳重の娘は、「靖子」ではなく「晴子」だと思う。少なくとも、市河三喜との共著(旅行記など。単著もある)などでは「市河晴子」だ*1


『父の書斎』も。


市河三喜の一族の紹介がないのは、ちと寂しい。私の手許では、新村出「三喜考」(著作集12*)がてっとりばやいか。
「三」は家の字なのですね。

博士の御兄弟お三人ともに、三喜を中に、三陽といひ、三禄といひ、すべて三の字が附けられた。先考の三兼先生、祖考の三亥先生、また伯父君の三千先生、いづれも三の字が附き、お目出度い。

敬んで録すべきは、博士の御愛子に、三栄および三愛の美名を与へられたことである。


あと、穂積陳重については、「渋沢一族参照」と書いておいて欲しかったです。索引もないことだし。
(ついでだが、鳩山一族と團一族をつなぐブリジストンも。他にも、二箇所に名前を出す人はあるのだろうが、繋ぐのは読者の楽しみ、ということなのでしょうか。)

*1:ここでは「時子」と間違えられているが、表紙の写真を見れば「晴子」とわかるだろう。