1976年の太平洋クラブライオンズ

1976年型の太平洋クラブライオンズの帽子をかぶっている。


西武球団が西鉄ライオンズのユニフォームを着ていることに違和感を感じ、やはり私の嗜好対象から西鉄ライオンズを外そうと思い、注文した。
76年型にしたのは、一番手っ取り早く手に入りそうだったから。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/lions/


76年の太平洋クラブといえば、ドローチャーがやって来なかった年。鬼頭監督である。前期も後期も6位だった。吉岡悟首位打者となり*1大田卓司とともにベストナインに選ばれたのは覚えていたが、なんとこの年、チーム打率は六球団1だったのだ。それでいて、得点は最下位。防御率も最下位である。


しかし、ジャンボ古賀投手が新人王になれなかったのは残念。


ユニフォームとしてはピンク(ワインカラーと称していたと記憶する)で、腹番号付きもある、というもの。
http://www.nagoyanet.ne.jp/lions/76/76-6.htm
このあたり。


なお、ピンクのサウスポーを阿久悠にインスパイアさせたと言われる永射保*2、オールスターで王貞治を2度凡退させたのは、この年ではなく翌年であり、ユニフォームはピンクではなく、
http://www.nagoyanet.ne.jp/lions/top/crown.htm
こんな感じの色。

*1:首位打者を経験した選手で、もっとも通算安打が少ない選手であると思われる。ただし、2リーグ以降。

*2:阿久悠側の書いた資料が欲しいところだが未詳。