パブリック・ドメイン 小宮豊隆

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夏目漱石関係ではなく、俳諧関係の公開です。
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小宮豊隆・横澤三郎・芭蕉俳諧論集・岩波文庫


横澤三郎氏は、
http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00096448
1965年歿で、一年前に著作権が切れた人です。


他に
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岩波文庫芭蕉連句集。


岩波新書の『芭蕉句抄』は、手許のものが新しい刷のものでした。

あとがき

 これを私は、「俳句に現はれた芭蕉の世界」という題で至文党の月刊雑誌『解釈と鑑賞』に、たしか昭和三十三年の十月ごろから寄書していたのである。しかるにその翌々年、昭和三十五年の三月に流行感冒にかかり寝込んでしまい、四月には前立腺肥大症にかかり、そのため入院して手術を受けなければならないことになり、手術を受けて肥大した前立腺を切り捨ててもらったのであるが、そのあと手術の傷が少しもなおらず、そこが絶えずずき〳〵痛み通したので、到底我慢ができなくなったため、退院させてもらって自分のうちへ帰り、うちの近所の病院の先生に来診を願うことにした。その先生がレントゲン写真をとらせてくれたところ、前立腺肥大症の手術が恥骨に悪影響を与えたので、恥骨炎と膀胱炎とが起こっているから、現在苦しい思いをしなければならなくなったのだと教えてくれた。そのため私は相当長い間、床についていなければならなくなったのである。
 芭蕉は初め貞徳門の俳諧を学び、その後江戸に出て来て宗因門の俳諧に近づくようになったのであるが、しかし芭蕉は次第に諸種の芸術を検討し続け、自分自身の芸術哲学を纏めて行くようになったので、徐々として芭蕉俳諧は、全国に比類のない、すばらしく見事なものになって行ったのである。従って私は、「俳句に現はれた芭蕉の世界」の中で、初期の芭蕉の俳句を少し取り上げ、時日の進行と共に芭蕉の俳句の内容が次第次第に見事なものになって行くところを、具体的に描き出して行こうとしていたのであるが、前に言ったような病気で、八ヵ月くらい床についていなければならなかったので、元禄元年くらいの『笈の小文』の中に挿入されている俳句を幾つか採り上げ得ただけで、比類のない芭蕉の見事さを十分精到に表現することができなかったのである。
 もっとも今年になってから、私の病気はよほど軽くなり、従って今年の時日が加わって行けば、恐らく私の健康が回復するに違いないという気がしているので、もう少ししてから岩波書店の月刊雑誌『文学』に寄書し、没年の元禄七年までの「俳句に現はれた芭蕉の世界」を精到に描いて、この書の続篇を十分に纏めたいと思っている。

昭和三十六年一月八日
小宮豊隆

目次(取り上げてある句)は、こちら国会図書館の目次*1が、「その一・その二……」だけだったこともあって、載せておきます。

『岩波講座日本文学』のものを入れ忘れておりましたので、加えました。

(上)

一 歴史
二 芭蕉俳諧
三 俳言と滑稽と
四 俳諧自由
五 新しみ


(下)
一 技巧
二 自然
三 人間

の4点です。

*1:館内限定のデジタルコレクションの。 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000603050-00