言葉の使い方の世代差など

blogを拝読している内田樹氏の『街場の現代思想』(ISBN:4757140754 )を立ち読みしたら、敬語について書いてあった。

私が時折授業などで言っていることと重なる部分があるが、今後の言い方の参考にしたいと思った。

私が言っているのは、敬語に限らず、若者コトバも含めてなのだが、例えば、こんなのがある。高校時代の知人が中学教師をしていて、彼から「中学生の言葉についてのアンケートを中学教師に書いて貰っているのだが、お前ならどう書くか」ということであった。その質問の一つに、「先生方は,今の中学生にどのような言葉づかいをしてほしいですか。」というのがあり、次のように書いた。


友達同士で会話するときには若者言葉で会話しても全く問題ないのですが、そうでない場合には、それなりの言葉を使って欲しいと思います。

ポテトチップやアイスクリームの食べ方と、ちゃんとした料理の食べ方が違うように、言葉も、時と場合によって使い分けられる方が便利です。

ついでに言えば、「敬語」も、別に相手を敬っていなくても、使う方が、自分に得になるのです。
もちろん、敬語を使って得られる特典よりも使わない気楽さを選ぶ、という選択をしてもよいのですけれども。

  同様に、

  • 若者言葉が好きでない人に若者言葉で話しかけることによって相手に嫌われるかもしれない、というリスク

  • 誰にでも若者言葉で話しかける気楽さ

を、天秤にかけて、どのような言葉で話すのかを、自分で決めればよいことだと思います。

どうも、熟さないですね。

授業で話すことでも、〈言語の変化によって世代間に文法の違いが生じているのであって、「文法上のあやまり」とは言えないものがある*1〉というと、「これからは堂々と使います」という学生さんがいるので、「違う違う」というわけなのですが、どうもうまく伝わらないのです*2

ちょっと話は逸れますが、若い人の中には次のように思っている人がいるようです。

高年齢層の人で言葉とがめをする人は、文法的に間違いだから咎めているのであって、高年齢層の本人達にとっても「正しい言い方」は不自然な言い方である。

と。いやいや、そういうケースもあるけれど、多くは自分にとって自然な言い方を「正しい言い方」と感じ、それから外れている若い人の言葉を咎めるのであって、若い人の言葉を「文法的に間違い」と言うのは理論武装に過ぎないのだ、と。
逆に若い人が、「そのように変化した方が理屈に合う、意味の使い分けが出来る」というのも理論武装

要は、自分の言葉とは違う言葉を聞くと違和感を感じるし、自分の言葉ではない言葉を発するにはエネルギーを必要とするので、出来れば自分の言葉を使いたいのだ。

自分が誰かの言葉に感じる違和感*3を、自分の言葉を聞く人も感じるかもしれない、ということを配慮して言葉を選んで欲しい、と。

そのように話しました。これは言語を研究する立場ではなく教育者の立場かも知れない、とも思いましたが、こういったのも含めて言語の問題であるとも思います。


内田樹氏は、「敬語は鎧である」と書いています。その心は、「身を守ってくれるけれど、身動きがとりにくい」というようなことでした。うまいたとえです。

*1:例えば「ら抜き言葉」など。

*2:「はかなく消える若者コトバは使ってはいけないけれど、言語変化の結果そうなったものは誰憚ることなく堂々と使うべきだ」という意見もありました。

*3:「妙な言い方だなぁ」の他に、「生意気だなぁ」とか「幼稚だなぁ」という違和感もあるだろう。