昭和33年

黌門客をよんで。
http://d.hatena.ne.jp/higonosuke/20061210

「白線」という語についての参考文献としては、榊原昭二『昭和語』、小林信彦『現代死語ノート』が手許にありますが、どちらも「ぱいせん」の読みですね。『性の用語集』の索引では「しろ」のあたりに入っていて残念。


昭和33年のことを書いた本が出ているとお教えいただき、書店で見てみました。やはり野球の年ですね。

昭和33年3月。
長嶋茂雄股間を、中西太の強烈な打球が抜いた頃*1王貞治春の甲子園済々黌に敗れる。


唐突ですが、『筆順指導の手引き』も、33年3月なんです。

*1:金田正一からの三振よりも、オープン戦でのこれこそがプロの洗礼だったと語っていたはずだ。