テレビへの慨嘆・「漱石が作った!?」

昨夜、家人がテレビのチャンネルを換えながら眺めているのを眺めていたら、夏目漱石の話をやっていた。日本人が好きな云々だ。

で、夏目漱石が新しい言葉を考え出したのだ、と。「新陳代謝」がそうだ、という。うーむ、ありうべしさ*1が低い。


辞典に載っている用例で漱石のがいちばん古いのだろうか、と思って『日本国語大辞典』を引いてみると、1876年の『改正増補物理大成』に見えることが分かる。この年、夏目金之助は数えで十歳。


他にも、この言葉も、この言葉も、と言っていたが、あまりにもいい加減な感じだった。


「この人が作った」というのには、いい加減なものも多いのだが()、ちょっとこれはあまりにも調べていなさすぎる、という感じ。


草枕」の一節を朗読していたが、「心持ち」のことを「心待ち」などと言っている(字幕も)。嗚呼。


【追記】
リンク元に、サーチエンジンで「夏目漱石・新陳代謝」としたものがあったので覗いてみたら、「沢山」まで、漱石の造語だとしていたらしいことがわかった。「沢山」と書いて「たくさん」と読むのは室町時代からある*2。「流石:さすが」も同様。


「経済」。「経国済民・経世済民」の意味でなく、金銭面の意味でも、江戸時代からある。


「価値」。『日本国語大辞典』初版では漱石の例が古く、誰かがこれを元に、「漱石が作った」と考えたのかも知れないが、「かちょく」を見よともなっていて、こちらを見ると、古くから有ることが分かる。さらに、第二版を見ると「かち」に1878年の用例がある。


「電力」。まさか!! これも『日本国語大辞典』初版の用例を勘違いしたものだろう。第二版では、1877年の「米欧回覧実記」*の用例が上がっている*3


日本国語大辞典』初版の用例の与えた影響は大なるものかな、と、「新陳代謝」も初版で引いてみたら、島村抱月の例もあるが、これはなぜ無視されたのだろう。


福沢諭吉やら、夏目漱石やら、なんでもかんでも、ある個人の功績にしてしまうのは、やめて欲しい。


漱石が自分で作ったと言っているのは、「浪漫」。


文学を攷察して見まするにこれを大別してローマンチシズム、ナチュラリズムの二種類とすることが出来る、前者は適当の訳字がないために私が作って浪漫主義として置きました
「教育と文芸」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card778.html


「非人情」については別の機会に。

*1:「ありうべしさ」というのは、「可能性」の和語的表現で、亀井孝氏の真似です。

*2:節用集の例*

*3:もちろん、これが初出だからといって、久米邦武が作ったわけではないし、『日本国語大辞典』も、久米邦武が作ったと主張しているわけではない。