全八冊

http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN4-00-301181-S
残り三冊は復刊ではなく、新刊?

で、吾妻鏡と言えば……

ハト

http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20070402/1175529378
この話で、ここの、元寇のころに伝書鳩は知られていたか、という話に関わる。


手紙の歴史 (1976年) (岩波新書)

手紙の歴史 (1976年) (岩波新書)

の序章に、伝書鳩の話が出て来る。中国ネタがまずあって*1、日本のこともある。まず、藤原頼長の『台記』の「長頭、白色、頭に冠有り。足に毛有り。性能人に馴れる」の記述から、「白の鴿で、伝書鳩であったことが分る」とするもの。直後に

これに手紙を結びつけるには、防水用として、油紙で包んだことが知られる

と記すが、これの出典は『琅邪代酔編』であり、これは漢籍。なぜ、ここに引用するのか分らない。


ついで、『吾妻鏡』である。これに鳩による伝書のことが出て来れば、元寇のころの伝書鳩が目に見えてくることになる。承元二年十二月二十一日の条から引用している*2

鳩の子を取りて歸り去るの間、件の火、この災を成す、凡そ近年、天子・上皇、悉く鳩を好ませ給う。長房・保教等、本より鳩を養い、時號を得たり。殊に奔走せりと、しかじか。

これを受けて、

公卿たちの中には、伝書鳩の飼育で天下に名をとどろかせるほどの者があらわれたともいう。となると、平安末期以後において、わが国の手紙界は、伝書鳩による速達便が、一新紀元を画したのではなかったろうか。と、想像したくもなるではないか。

と書いている。残念ながら想像であった。伝書鳩になりうる鴿が居ると言うことと、鳩による伝書は別のことである。

*1:「西陽雑俎」が「せいようざっそ」のルビ付きであるが、後の版ではなおっているだろうか。私が見ているのは1976年の初版。

*2:cf. http://www.nijl.ac.jp/databases/db-room/genpon/azutext2.htm#T41