パブリック・ドメイン 高浜二郎

高浜二郎という人がいます。
http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00077499
兵庫県近代文学事典』では、高浜二郎の項と高浜天我の項目がありますが同一人物で、天我の項目の方で、1966年12月10日が命日と言うことが分かります。


橋本政次『近代播磨文学史』にも名前が見えますが、中野三敏先生の『本道楽』*1に詳しくあります。一部を引用します。

白い無精髭を生やして、古武士然とした方だったが、沢田東江の伝を志している旨を述べて御教示を乞うと、無雑作に手元の、厚さ二、三寸もあるような綴じ物をめくられて、井上金峨のこと、井上蘭台のことなどあれこれとお教えいただいた。(中略)まさに掌を指すが如き様子であった。要するに手控えの帳面に、編年体で諸家の文事を整理してあるらしく、質問の大概はこの手控えで間に合うようにみえた。その時は御専門は蒲生君平伝とのみ伺っていたが、その後、自費出版しておられた多くの小冊子類を見るにつけ、その興味が江戸の学芸・文事の雅俗あらゆる面にわたり、恐ろしいほどの蓄積がなされていることがわかり始め、あの時なぜもっと多くの事をうかがっておかなかったかが、今更ながら悔やまれてならぬ。

高浜翁には、自費出版の趣味がおありだった。恐らく業界誌編纂の余禄で、用紙の入手が比較的簡単だったのでもあろう。「人類館」「偉人の面影」などといった君平追跡の余燼ともいうべき江戸期人物伝の雑誌や、自作の『湯島竹枝』(昭和二十九年十一月)、『姫路竹枝』(昭和四十八年十一月)等の歌集、また歌人『小沢芦菴年譜』(昭和三十一年五月)なども同じような略装の小冊子の姿で自費出版されていた。

そのうちのナニガシかを、うわづら文庫に入れました。
https://app.box.com/s/yu2vri37uxk0xexrmoc15xrn4ycrsdcy


国語学的には、
『メッキ語源考』 https://app.box.com/s/7jd65pqx6c4afol2a0b1h6jp1n6i2ey6
もですが、

魚住折蘆と同様に*2、姫路中学の前波仲尾先生*3の思い出を語っているのが気になります。

 前波仲尾先生
何某の式部のやうに うるはしき仮名がきしたる前波先生
むつかしき顔なる前波先生の英語の講義たのしみにけり

『続湯島竹枝』p.59

折蘆と同様に、姫路中学を中退しているのですが、共究会に入っていたのも同様です。
https://app.box.com/s/32xl0o8ldmpofd8fg0674y77pn6t8j8x
これは、長沢一夫*4・菊池金次郎*5との連名で、回覧雑誌の『共究会文章会』第40号に載せたものです。