パブリック・ドメイン 亀井勝一郎

https://app.box.com/s/a9gtedjs5t1pq6fz5y0oqwk2jtt3r96s


『読書に関する七つの意見』は、最後までスキャンしたかったのですが、うまく出来ませんでした。

青春新書に古いものがある、というのは忘れていましたが、何冊か出ていたのですね。


亀井勝一郎編『太宰治・愛と苦悩の手紙』角川文庫
(目次・解説・索引)を追加。


手許には、もっとありますが、新しい刷のものや、新しい版のものばかりです。
『日本人の精神史』とか、『私の美術遍歴』『愛の無常について』『恋愛論』『青春論』『美貌の皇后』などなど。


テキストを、一つだけ。
http://www62.atwiki.jp/kotozora/pages/85.html

パブリック・ドメイン 大下宇陀児

これも、薄いものばかりです。
https://app.box.com/s/5j9fpwuzjwgqlwq2avmknx8lndv9ljrt


小説は
「金口の巻煙草」
「青ライオン」
のみ。


日置昌一『ものしり対談』 大下宇陀児「記憶術問答」

 日置 きょうは、なんか推理小説、つまりつくり話、いわば虚談と実談のかけあいをやってくれとの編集部の希望だったんだが、何から話しましょうかね。
 大下 そうですか。ぼくはまた日置さんのものしりぶりを拝聽して感心するといった余り割のよくない役目をやるのかと思っていたんだがね。ところで編集部のデスクにも投書が来ているそうじゃないですか。日置ものしり先生が、あのように年号とか何とか、事柄を実によく覚えておるが、なにか秘訣があるか、あったら公開してもらいたいね。この方からまずかたづけましょうや。


なお、日置昌一(1960年歿)のものは、
https://app.box.com/s/oc237f5d5gpq7liz7dxn

パブリック・ドメイン 柴田宵曲

https://app.box.com/s/aiumv06j28653411t0dej8kkb64si81a

薄いもの、ひとつだけです。『書斎と読書』*1所収のもの。


以下は、ADFの調子がよければスキャンしたかったのですが、出来ていません。





新しい本からOCRにかけて、テキスト化しかけたもの。
http://www62.atwiki.jp/kotozora/pages/82.html
http://www62.atwiki.jp/kotozora/pages/81.html
http://www62.atwiki.jp/kotozora/pages/80.html
http://www62.atwiki.jp/kotozora/pages/67.html

*1:ここに目次と、公開済みのものへのリンクがあります。 http://kokugosi.g.hatena.ne.jp/keyword/%E3%80%8E%E6%9B%B8%E6%96%8E%E3%81%A8%E8%AA%AD%E6%9B%B8%E3%80%8F

パブリック・ドメイン 野村八良

https://app.box.com/s/5sfh49dpdjqivduydv0uhpdkeedx0rd1





国会図書館デジタルコレクションの
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1018104
このあたりは、「著作権満了」で公開されているのですね。


なお、



こういうのもあります。

パブリック・ドメイン 魚返善雄の追加

閲覧数が一番多いのが、魚返善雄のようです。
https://app.box.com/s/9lkjd1kdzmsxatu8myeiow9clealyl2v
ですから、いくつか追加しております。


『「論語」新訳』
https://app.box.com/s/05jj3uy4ib40kkpqhri5b8g4e6ik2am8

 この本は「論語」の全文を現代日本語に訳したもので、原文のリズムと発言者の気分をあらわすことに注意し、いわゆる逐字訳や説明訳を避けた。
「原文」(漢文)には句読点のほか、「 」をつけて発言や対話の部分をわかりやすくした。「訓読」においては、日本人のしばしば引用する伝統的な読みくたし文をかかげたが、現代の日本文にあまり使われない字はカナで示した。
「華語」訳は特にこの本のために用意したもので、中国版の白話訳を流用したのではない。
 以上四種の「論語」テキストは、それぞれ独立のものとしてあつかうこともできるが、同時に一連のものとして比較対照するため、原則的に句の順序と句読点を一致させてある。

〔一〕先生──「ならってはおさらいするのは、たのしいことだね。なかまが遠くからくるのは、うれしいことだね。知られなくても平気なのは、りっぱな人じゃないか。」
   〔注〕「先生」とあるのは、門人たちにとって大先生である孔子のこと。
 〔漢文〕 子曰、「學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方來、不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎。」
 〔訓読〕 子イハク、學ビテ時ニコレヲ習フ、マタ「ヨロコ」バシカラズヤ。トモアリ遠方ヨリキタル、マタ樂シカヲズヤ。人知ラズシテ「イキドホ」ラズ、マタ君子ナラズヤ。
  〔華語〕 孔子説、「學了又時時地實習、不也宜高興嗎? 這麼着就有同志的人由遠方來了、不也更快樂嗎? 就是人家不曉得自己、自己也不彆悶、不也是君子的態度嗎?」


〔二〕有先生──「人がらがすなおなのに、目上にさからうものは、まずない。目上にさからわないのに、むほんをするものは、あったためしがない。土台がだいじだ。土台あっての道だ。すなおということが、人の道のはじまりだな。」

〔三〕先生──「おせじや見せかけに、ろくなものはない。」

〔四〕曽(ソウ)先生 ──「毎日ふりかえることが三つ。人にまこころをつくしたか。友だちにすまないことはないか。教えは身についているか。」

〔五〕先生──「大きなかまえの国ほど、まともな政治をし、つましくなさけぶかく、人はひまひまに使うこと。」

〔六〕先生──「若い人は、うちではすなお、そとでもおとなしく、よく気をくばり、みんなにやさしくして道をまなぶこと。そのうえひまがあれば、学問にふりむける。」

〔七〕子夏──「色よりはチエを買い、親のためには苦労をいとわず、国にはすすんで身をささげ、友だちづきあいに、ウソをつかなければ、無学な人でも、学問があるというわけさ。」

〔八〕先生──「上の人は軽いと押しがきかぬし、学問も練れない。まこころを第一とし、つまらぬ人とつきあわぬこと。あやまちはアッサリあらためよ。」

〔九〕曽先生 ──「とむらい供養のしかたで、気風がずっとよくなるものだ。」

〔一〇〕子禽(キン)が子貢にたずねる、 「うちの先生はどこの国にいっても、きっと政治にかかりあうが…。たのむのかな、それともたのまれるのかな。」子貢──「先生はオットリとへりくだっていてそうなるんだ。先生のやりかたはだね、こりゃどうも人のやりくちとはちがってるね。」

角川文庫の『菜根談』も
https://app.box.com/s/avombivtofs60xmf3h1w2u8bmp83a56w

パブリック・ドメイン 八杉貞利

https://app.box.com/s/33srxx4n2eslfdu58xo9h1xjzzdwb8ts


『ロシヤ文法』があると思っていたのですが、単著ではありませんでした。


『岩波ロシヤ語辞典 増訂版』の凡例ほか
「ロシア文語史概説」(『ロシヤ文化の研究』所収)

それから、


http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I027563109-00
にも収められている『現代名家/文章大観』*1所収の「文章体の残存は恥辱なり」です。


以下は、『ロシヤ文化の研究』*2所収の略歴です。

八杉貞利先生略歴
 八杉貞利先生は明治九年九月十六日東京淺草に生誕された。明治三十三年七月東京帝國大學文科大學言語學科を卒業、恩師上田萬年博士の勸めに從ひロシヤ語を專攻することを決意され、同年九月東京外國語學校の別科(夜學)に入學、長谷川辰之助(二葉亭四迷)先生等から同語の手ほどきを受けられた。翌明治三十四年ロシヤ留學を命ぜられ、十一月東京を出發、ペテルブルグに赴かれた。同地で先生が主なる指導を受けられたのは、ペテルブルグ大學のボドゥエン・ド・クルテネー教授であつた。ロシヤ在留中の明治三十六年三月東京外國語學校教授の辭令を受けられたが、日露戰役のために留學期の繰上を餘儀なくされ、三十七年五月歸朝、直ちに東京外國語學校の教職に就かれ、以て今日に及んだ。その間明治三十七年九月東京帝國大學文學部講師、大正元年十月早稻田大學文學部講師の囑託を受けられた。早稻田大學の方は昭和十一年三月辭任された。これらの學部では現代ロシヤ語の外、教會スラヴ語、古代ロシヤ語、ロシヤ文語史、スラヴ系語論等を講義された。昭和十二年三月東京外國語學校教授を辭され、同時に同校講師となられたが、同年五月には同校名譽教授の名稱を受けられた。


同書の序。米川正夫(1965年歿)による。


 目下我國は世界的情勢の爲め非常時局に際會してゐ、從つて露語の必要は今後益々増大すべき運命を擔つてゐる。我日本の露語學は既に六七十年の長い歴史を有するが爲、他の歐羅巴語の如く外面的な華々しさこそないとは云へ、長足の進歩を遂げてゐるのは識者の夙に知るところである。この間もとより幾多の功勞者を出してゐるが、就中忘るべからざる恩人と云ふべきは、先づ古川常三郎、長谷川辰之助、鈴木於菟平、而して八杉貞利の諸先生の名を擧げなければならない。就中、長谷川二葉亭は露西亜文學を初めて我國に紹介した先驅者として、明治文學史に不朽の足跡を印した巨人であるが、他方それに優るとも劣らぬ偉大な業績を樹てられた人として、我八杉先生を擧ぐることに何人も異存ない所である。
 八杉先生の我國露語學に於る功績は、それまで主として、云はゞ勘と精紳とを以て進んでゐた露語研究に、他人の追從をゆるさぬ先生の緻密な頭腦と該博な科學的知識とをもつて、整然たる系統と理論的根據を與へられた事である。先生が主たる指導の位置に立たれて以來、東京外國語學校の露語學は鬱然として一の學派をなし、先生の薫陶を受けて、政治・社會・教育・藝術等、新日本の文化のあらゆる部門に有意義な活躍をしてゐる人士が、無慮五六千に達するの盛觀を示すに至つた。不省筆者も先生の教導のお庇で、些か乍らこの文化陣の一方を守る光榮を有する一人である。
 八杉先生は人材養成の方面で測るべからざる業績を威就されたのみならす、最近完成された大露和辭典の編纂によつて、多年の蘊蓄を具體化し、現代及び將來の露語研究者の爲めに煌々たる燈臺を建設せられた。これこそ先生の事業中最も萬人に感謝さるべきものであらう。
 最近母校の露語會誌を讀んだら、若し八杉先生が露語に移らず、專門の言語學に專念されたなら、疾くに博士號を獲得してゐられたらうに、と云ふ或人の言葉に對して、先生は莞爾と打ち笑まれ、自分は博士號の榮冠を得んよりも、寧ろ露語學に殉ずるを以て本懷とする、と答へられたとの事である。先生の高節欽仰に堪へぬではないか。 本文集は八杉先生の御還暦を祝賀する爲に、門人相寄つて捧呈した小やかな贈物であるが、教へ子のそれみ\の生長を語るものとして快く受けて頂き、我等も師恩の萬分の一に報ゆることが出來たやうに感じ、悦びこれに過ぐるはないと思つてゐる。しかし、この還暦祝といふ事は先生の永い生涯にあつて單に一つの道標に過ぎす、尚ほ久しきに亙つて露語界の爲に盡瘁して頂けること勿論で、例へば和露辭典の編纂の如きは、先生の深き造詣に俟たねばならぬ第一の仕事であらうと信する。
 序でながら、師恩に報ゆる爲に編まれたこの集が、萬々一、露西亜文化研究の爲に我々自身が考へてゐるよりも、案外多くの意義を有してゐるならばそれこそ望外の幸幅である。
 僭越ながら門下一同を代表して蕪辭を弄したことを謝し、併せて八杉先生の御健勝を所つてやまぬ。

昭和十三年十一月 米川正夫