一高から出た「牛耳る」
「牛耳を執る」を略して(あるいは「牛耳」を動詞化して)、「ぎゅうじる」というラ行五段活用の動詞にすることは一高に始まる、とよく言われる。
米川明彦氏が『新語と流行語』などであげる辰野隆『書斎漫筆』pp.93-94、
ルナアルの小説『ねなしかづら《エコルニフルウル》』は。精神的やどり木である文學青年を描いたものである。但、Ecornifleur といふ字は、古い言葉で、あまり一般には使用されぬらしく、普通の佛蘭西人は。その意味を知ってはゐない。字引を引いて見て初めて、『なるほど、さういふ意味なのか』と驚く。現に『ねなしかづら』が出版された當時、知名の記者オオレリヤン・ショオルがルナアルに『君は一つの言葉を新しくしたわけだ。今に方々で使はれるやうになるだらう。實を云ふと、僕も字引を引いてみたくらゐなのだ』と云ってゐる。元は一高から出た牛耳る漁夫るなどといふ言葉の運命をも、僕は一寸考へて見た。
午後は一高会で、知った顔と「牛耳る」「音痴(馬鹿の異名)」などの「テクニカルターム」で話し合ったという
は、大正元年夏に『萬朝報』に載せられた、一高生・久米正雄による盛岡から東京への徒歩旅行記に基づくようだ。
和辻哲郎『自叙伝の試み』の「一高生活の思い出」(中公文庫p.537)にみえる、
一年前のことなどはけろりと忘れてしまって、頻りに先輩風を吹かし、新入生を「牛耳る」ことになる。
という、鉤括弧で括った「牛耳る」も、一高らしい言い方であると見なしてのものであろう。
画像は『魚住折蘆書簡集』、明治40年8月の小山鞆繪宛の書簡で、ここに、
歸つて後マザーに牛耳られはせなかつたか。
とある。私の知る、最も古い用例だ。折蘆は明治36年に一高に入学(京北中学で同期だった藤村操よりは一年遅れている)。この手紙の頃は東大在学中だ。小山とは、一高からの同級。
なお、一高に始まると言っても、その淵源が、一高の英語教師であった夏目金之助である、という話もある。
http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20101121/1290315839
http://kokugosi.g.hatena.ne.jp/kuzan/20061109/p1
金田一春彦氏のあげる田辺尚雄『明治音楽物語』の一高時代の思い出話、
なお夏目先生は言葉を詰めて言う趣味(?)があった。例えば学校の向いの『梅月』という菓子屋へ甘いものを食いに行くことを「バイゲル」というたぐいである。多分野次馬を飛ぽすことを「ヤジル」と言ったり、仕事をリードすること(中国の語で「牛耳を取る」という)を「牛耳る」などいう語も夏目先生の新造語だと聞いている。
ただ、この証言、田辺尚雄のものしか知らない。金田一京助の証言もあるかのように書いてあるものもあるが未見。
若原三雄「牛耳る」『新聞研究』89・昭33.12
というのがあるそうだが、未見である。