これも漱石の造語ではない「肩が凝る」


漱石の造語ではない〉シリーズ*1の一環です。漱石を貶めることに目的があるのではなく、なんでも有名人ひとりの成果にしてしまおうという風潮への警鐘のつもりです。



漱石の疼痛、カントの激痛―「頭痛・肩凝り・歯痛」列伝 (講談社現代新書)

漱石の疼痛、カントの激痛―「頭痛・肩凝り・歯痛」列伝 (講談社現代新書)

で、

文学作品の中で「肩が凝る」という言葉を初めて使ったのは、夏目漱石だった。(p.50)

とされるが、この「肩が凝る」は、「漱石が作った」「漱石の造語」などとされることも多い。


http://www.ntv.co.jp/sekaju/class/071117/01.html

google:「肩が凝る」 夏目漱石


漱石以前に「肩が凝る」はないのだろうか。

漱石以前

上記、「世界一受けたい授業」の説明中で、漱石以前には「肩が張る」と言っていた、ともある。


たしかに、「肩が張る」がよく使われてるが、ほかに「肩がつかえる」「肩がつまる」もある。『山口剛著作集6』の「肩の凝ものがたり」*2では、『心中重井筒』の「肩がつかへた」が見えるが、日本国語大辞典でも狂言記などの用例が見える。「肩がつまる」の江戸期の用例も日本国語大辞典にある。なお、近代の「肩がつまる」は関西系の用例が目につくが、宮本百合子(東京生まれ)の用例も青空文庫で見つかる。


さて、「肩がこる」である。日本国語大辞典では近代の用例しか載せないが、江戸時代のものがある。


奈河亀輔『伊賀越乗掛合羽』十一段目(新日本古典文学大系上方歌舞伎集』ISBN:4002400956 p.353)

吉(おかな) きつう肩《かた》が凝《こ》つて有《(ある)》さふに厶《(ござ)》り升《(ます)》。
来(金助) サア、その心遣《こゝろづか》いで肩《かた》も凝《こ》る筈《はづ》。様子《よふす》を言《い》ふて聞《き》かしさへすりや、肩《かた》のつかへもさらりと下《さ》がる。

安永頃の作品だから、漱石の生まれる90年ほど前。「肩が凝る」と「肩のつかへ」が出来るわけである。これは上方だが、江戸の用例を次に。


式亭三馬『四十八癖』三編(新潮古典集成isbn:4106203529 p.316)

本が、ヤ、わたしも好きだが、つゞけては毒だ。折ふし休み/\読まぬと、肩が張つて凝つてわるい。

三編は文化十四年。


「肩が張つて凝つて」ということだから、「肩が張る」と「肩が凝る」は違った意味なのだろうが、ここにも、漱石以前の「肩が凝る」が見つかった。文学作品の中でも、漱石以前に使っていた人が居るわけである。
(歌舞伎や滑稽本は文学ではない、というツッコミはここでは無しにしてください。「伊賀越乗掛合羽」は新日本古典文学大系所収ですし、「四十八癖」も近代日本文学大系*などに収められています*3。)


漱石と同時代

漱石の用例として、上記の横田敏勝著書などでは『門』をあげるが、『明暗』にもある。これは、日本国語大辞典の用例にもなっているし、『門』よりも時代が下がるからここには載せないが、『門』以前の、漱石の用例をあげておこう。

ぼくは落語家小さんの表情動作などは、壮士俳優のやるより餘程旨いと思ふ。人が賞める高田などは、芝居のために芝居をするやうで、肩が凝つて面白くない、餘程不自然だ。

比喩的用法だが、明治38年8月15日に『新潮』に発表した「水たまり」。『門』明治43年の五年前。



漱石以外のものは、

で検索すれば、『門』以前で、明治28年の2例、明治34年の1例、明治42年の3例が見つかる。



http://kotobakai.seesaa.net/article/8260496.html
こちらも参照。

補記

論文にしました。

国語語彙史の研究〈30〉

*1:http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20070106/1168086774
http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20080225/1203946801

*2:「肩もみ物語」と題した方がよいような気がする内容かと思います。https://www62.atwiki.jp/kotozora/pages/101.html

*3:二編までなので、この部分は収められていませんが。