なせばなる
なせばなる なせねばならぬ なにごとも ならぬは人の なさぬなりけりという歌は明治天皇のものである、と、たしか5年ほど前のサンデーソングブック(東京FM)で山下達郎氏が言い、その数週後に、あれは上杉鷹山であるとお詫びと訂正をして、そう自分が覚えたのは大松博文の本によるものであると言いました。
そのしばらく後に書いたのが次の文章です。
この文章は、誰にも見せないままでしたが、昭和38.12.20の第15刷が手に入りましたので、続きを書きます。
古本屋で大松博文『おれについてこい!』を見つけたので買ってみました。もちろん、「なせばなる」問題について調べるためです。
問題の箇所はすぐに見付かりました。第10章「わたしのこと・家庭のこと」というところの冒頭です。わたしのいうこと、することには、なにか古くさい感じがあります。たとえばわたしは、“なせばなる”ということを日常のモットーとしています。
これは、「なせねばならぬなにごとも ならぬは人の なさぬなりけり」とつづく、上杉鷹山の歌です。おやっと、思わされます。明治天皇とは書いていないのです。しかしその後の文章を読むと、ここは明治天皇とあるべきところだろうと思えてきます。
そして、この歌は、明治という興隆期日本の、ほとんどの青年たちがいだいた人生観であり、明治のにおいでした。
さらに、博文の名が、伊藤博文にあやかってつけたことを書き、
明治天皇とともに、明治そのものを代表するような人の名をもらっている大松博文、明治のにおいが出ても、ふしぎではないようにも思うのです。としめています。この明治天皇はあまりに突然ですね。おそらく先ほどの「上杉鷹山」は、元は「明治天皇」とあったものなのでしょう。
私のみた本は、昭和45.2.5発行の89刷です。第1刷は昭和38.6.20です。おそらくは初出で「明治天皇の歌」としたところ、それは間違いであるという指摘をうけ、訂正したものでしょう。
大松博文氏は言わずと知れた、「東洋の魔女」の監督。このときの肩書きは「日紡貝塚工場庶務係長」*1、42歳。この本が出たのは、東京五輪以前なのですね。
この本は、新書版ですが、講談社ミリオンブックスではなく、Howtoブックスという名であるようです*2。
さて、後の刷りで「上杉鷹山の歌」とあるところは、
これは、「なせねばならぬなにごとも ならぬは人の なさぬなりけり」とつづく、明治天皇のお歌です。とありました。「明治天皇の歌」ではなく「明治天皇のお歌」でした。
昭和38.12.20の第15刷から昭和45.2.5発行の89刷までの間のどこかで、「明治天皇のお歌」から「上杉鷹山の歌」と訂正されたことになります。
同世代
http://d.hatena.ne.jp/myougadani/20060222
私も、今月、45になりました。
今年の誕生日は、「怒濤」が一段落した日で、同僚の方々と宴を致しました*1。
45歳といえば、四捨五入したら五十歳という声も聞かれるのですが、四捨五入したらまだ零歳、と思って励みたいと思っています。
*1:もちろん、私の誕生日とは無関係に、「怒濤」が終了したことを祝してのものです