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治りましたね。(2006.2.27)
方言文献収集家・大田栄太郎
『郷語書誌稿』(国書刊行会版 bk1*1)の「後がき」から。
帝国図書館にいた頃は、郷語文献を知ること、それを求めることが唯一の楽しみであった。いわば道楽であった。そのためには当時納本される図書はいうに及ばず、地方の校友会雑誌、同人雑誌にも広く手をのばして殆ど病的に集めた。一点でも逃すまいとして、帝国図書館でも同僚で教えてくれた人には必ず一点につきコーヒーを一杯出す、というようにして蒐めたものである。
(中略)
当時は古書を漁り、その古書漁りの楽しみはまた格別のものであった。……次第に病い膏盲に入り、幸い家内も度し難いものとして、全く諦めてくれてはいたものの、世の主人からすれば困った親爺であったわけである。私は本を敷蒲団とし、掛蒲団も本にし、その中で往生遂げたいと念じていたのであった。
『郷語書誌稿』には、国立国語研究所長である野元菊雄氏*2の序もあり、それには、
国立国語研究所創設とともに永年収集された大量の方言書を挙げて寄せられましたので、私などはもう方言関係の研究はおやめになるのかと思っておりました。ところが、そののちも孜孜として研究を続けられ本書の前身はじめ数著を出されましたので、さぞ不便を感じておられるだろうなどと想像もし、あるいは若気(?)の至りで手許からお離しになったことを後悔されておいでたのではなかろうか、と心配もしておりました次第です。
とある。
さて、先ほどの「後がき」は次のように続く。
そうした命がけての*3本を譲渡して終ったのであるから、馬鹿といえば馬鹿、全く河童の岡上りで、今となってはもう頭の鉢の水が渇れては芸の仕様もない。
「はじめに」には、次のようにある。
従来、多少集めていた方言書・郷語書類も、そうしたいろいろの事情と、一つは後でわかったのであるが、一種の罠ともいえる実に巧妙な、しかも強引な話しに引っかかって、全く泣きの涙で、そうした資料を全部手離したのである。
おそろしや。
奥付の略歴によれば、
明治32年12月、富山に生まれる。国立国会図書館職員、富山県立図書館長、富山大学講師を経て、現在『富山県史』編纂委員。
(主な著書)『富山市近在方言集』『滋賀県方言集』『越中の方言』『とやま弁にしひがし』などがある。
『国語年鑑1989年版』によれば、1988.7.25逝去。日本大(1928)。
『郷語書誌稿』には山田孝雄への献辞があるが、『潁原退蔵著作集月報』第10号(第16巻「近世語研究」 昭和55.1に挿入)に、その交流について触れるところがあった。
神保町系オタオタ日記2006-02-25■ 帝国図書館司書大田榮太郎って何者だ?を拝読しましたことに触発されました。
*1:「国書刊行会版」と書いたのは、それ以前のガリ版があるから。webcatplus
*2:簡約日本語の提唱でも知られ、『きけ わだつみのこえ』ISBN:4003315715、『はるかなる山河に』*の編者の一人でもある。
*3:「命かけての」か「命がけでの」かと思ったが、本のママ。