北九州の古本屋

1983.9.5 月
古書店地図帳をながめていて、佐藤書店が月曜休日と気付き、行くのを躊躇するが、ままよとばかり九時半ごろ家を出る。地下鉄に乗って考えると、十時三分発の列車にぎりぎりである。百二十円分だけ買って乗り込む。鈍行でなかなか遠い。11時過ぎ黒崎に着き精算して外に出る。久々なので思い出せない。

まず藤井書店。水谷静夫の『言語と数学』を三百円で買う。数学シリーズの一冊のようだ。
あらい書店では大系本数冊と古田東朔国語学史』を手に取るが、何も買わず。

人文堂では「買いごたえのある本屋」というキャッチフレーズに気付く。三木幸信・福永静哉『国語学史』風間書房が五百円である。しかしこの本は一年前に大里の佐藤書店にたしか二百円であったはずだ。そこで懸念の佐藤書店に電話を入れる。門司港の方は開いているが、大里は休業とのこと。隣の八百屋でアクエリアスを飲みながら考え結局その本を買う。

藤田から電車に乗る。三条で降り今井書店に行くためである。しかし車中から見ると今井書店は閉まっている。第一三五月曜休業と表示が見える。こんなことなら国鉄で行けばよかった。車中でいろいろと計画を練る。一気に門司まで行くことにしよう。そしてこの電車が砂津止まりなら乗り換えに乗じて大田町のM堂に寄って行こう。門司から引き返し、魚町の二軒をまわって北方へ行き、城野から添田線乗破をやろう。もし余裕があれば行橋まで行きたいがそれはちと無理だろう。

果たして電車は砂津止まりであったが、運転手に乗り換えを申し出る*1と、「前の電車に乗って下さい」とこちらの心を見透かしたように言う。仕方なく停車中の電車に乗り込む。こうなると帰りは砂津で降りて、M堂から教養アタゴまでは歩かねばならぬ。遅い電車はやっと桟橋通に着く。朝「きつねどんべえ」しか食っていないので、流石に腹が減ってくる。しかし適当な食堂がなく佐藤書店に直行。

本を見ていると胃がおかしくなりそうで、店を出て食うところを探すが見当たらず、山城屋*2の食堂に行く。そこでトンカツ定食を六百円で食う。少し高いが旅先なので仕方がない。麺類ですますにはあまりに腹が減りすぎている。食堂はガランとしている。

佐藤書店に戻り、落ち着いて見ると先程見逃した本もあったようで、飯を食ってよかったと思う。東洋文庫の『清俗紀聞』上下を千三百円。角川小辞典の方言(1)を同じく千三百円。学燈文庫『近世雅文随筆』を五十円で買う。『室町時代の言語研究』が四千三百円、『切支丹語学の研究』が四千五百円であったのには心を動かされたが、買わずにあとにした*3

先程、砂津で抜け出せていれば、国鉄ででも行けたのだが、やはりゴトゴトと遅い電車。この分では北方も無理だ。今日の収穫としては添田線だけを考えればよい。砂津で電車を降り南へ向かう。未見の書店だけに興味を持って店に入る。古い本が多いようだ。しかし本を開いて見ると高い値が付けてある。松下大三郎に三万六千位つけている。切支丹語学の研究が五千円というのは安い様だ。しかし四千五百円というのを見たばかりなので手は出さない。岩波文庫の絶版類が並んでいるので見てみると皆千円以上ついている。元和本下学集などは二千円だ。この分では安くつけた本はなかろう。

などとやっていると、店の親仁が椅子に掛けるように随分すすめる。前の客がアニメのレコードがどうとか言って帰ると、私への勧誘は昂じて、仕方なく親仁と向い合わせに腰掛ける。北大かと聞くので博多から出て来たなどと言っていると、N氏の話になる。親仁はN先生と呼ぶ(自分も院生だと告げると先生と呼び出す)。中也の好きな歌を歌ってやったと言い、高い声を張り上げる。話が合唱のことになり、市内のいくつかの高校に時々指導に行っているという。私の専門が何かということになり国語学だというと、国語学は西洋の言語学に比較して腑甲斐ないという。話は続く。私は四時三十分発の日田彦山線に乗らねばならぬのに話は続く。私は添田線を断念した。この親仁がどの程度ものを知っているのか分からないので口の合わせようが難しい。日本言語学者というと時枝誠記となぜか九鬼周造吉本隆明なのだ。服部四郎をも知らぬ様子である。

この親仁は、口は丁寧なのだが、何となくねちっとしていて、笑うとき、両手を口に持って行くので、その手の人間ではないかと思うと、「国語学ならホモセクシュアルに関心がないと」だとか、「男子校なら、先生好きだなんて気の利いたのが居るでしょう」*4などとおっしゃる。気味が悪い。

話は私の修論にまで到る。読本類の漢語のことを言うと、「それならそうと最初から言えばいいのに。国語学だなんておっしゃるからソシュール云々」と。まあよいが、和本もあると見せてくれた。種彦の随筆(二冊本)にたしか五万六千ほどつけていた。そして「あなたはよくお話を聞いてくれる。中にはいやな客がいてね。そういうのにはこっちも話しかけない。でもそういうのに限ってよく本を買う」という。「あなたに買えと言ってるんじゃない」と言うが、何か安い本でも買わざるを得ない。探すと高津春繁『言語学概説』が千二百円である。多分定価は千八百か千五百だろうと、それを買うことにする。千百円にまけてくれてコーラを飲ませてくれた。そして手が汚れたろうと「おしぼりウェッティ」を差し出す。ここを辞したのはもう六時前であった。他にも童貞がどうとか、足が長いと精力は弱いとか、広大院生殺人事件の話とか、下らぬ話も多く出たが、面白くないので記さぬ。

教養堂への道は遠い。横断歩道でなく陸橋なので疲れる。昨日の疲れが足に残っている。まずアタゴ書店に行くとしまっている。まさか遅く来た故にしまっているのではあるまい。

教養堂は開いていた。よかった。見ると『日本英学史の研究』がある。五千五百円。S君に買って帰ろうと思い電話するが、本人がいないので、明日の読書会のことを告げて切る。考えて買って行くことにする。まさかいらんとは言うまい。それにプラスして笠間書院の『かたこと』を五百円で買う。去年は確か千円をつけていたが、今日は八百円を消して五百円になっている。随分昔からある名著全集の謡曲三百五十番も以前は確か四千八百円が四千五百円になっている。『近代日本語の新研究』は定価で、横山邦治『読本の研究』が八千八百円であったが、これらも手が出ず、二冊のみでここをあとにする。七時二十五分発で帰る。車中では何もせず、ぼうっとしている。

博多駅の浜勝でオランダカツ定を食って地下鉄で帰る。

*1:乗り換え券を発行してもらうのである。

*2:デパート

*3:『吉利支丹語学の研究』は、半年後*にここで購入。

*4:私が男子高で非常勤講師をしていることに話が及んだのであろう。