誤植か誤脱ではないのか

吉行淳之介『私の東京物語』文春文庫ISBN:4167517027、意味が通らないところがあった。「香水瓶」の一節(p174)。『世界童謡集』に載っているという、「悪魔」という童謡。

朝お寝床《ねど》から起きたら
手を洗って目をきれいになさい。
それから
よく気をつけるんですよ。
洗った水を遠くへ
捨てないように。
だって捨てた水が
光っているうちは
悪魔がそこに
ちゃんといますから……
この童謡から、吉行は、「彼女」が立ち現れてくるという。
水の入った洗面器を躯の前で支え、遠くまで捨てに行く。捨てた水が目に映らないように、捨てに行く。あるいは排水孔の中に零《こぼ》さぬようにゆっくり注ぎ込む……。そのくらいの慎重さが、彼女にとって必要なのだろう。
童謡の中では「遠くへ捨てないように」と言っているのに、遠くまで捨てに行かねばならぬように書いてある。この童謡の引用、誤脱があるか、「近くへ捨てないように」の誤植ではないのだろうか。
この『世界童謡集』で「悪魔」を見てみたいものだ。

ついで

ついでに、編者解説(山本容朗)のp264に見える、北原白秋「片恋」の「あかしやの金と赤とがちりぞえな」は、「ちるぞえな」の誤り。ここは誤植ではなく、筆者の覚え違いのようだ。直後に、

「ちりぞえな」は江戸時代の遊女の言葉である。
と注している*1。なんで連用形接続だと誤認されているのだろう。

「片恋」は「東京景物詩」*の中の一篇で、多田武彦の合唱曲の印象が強い。

なお、私は、この「あかしやの金と赤とが散るぞえな」を元に、

マニキュアの 金と赤とを 塗るジョイナー
という句を作ったのであった。ソウル五輪の時。
そして、訃報を聞いたときには、「秋の光に散るジョイナー」とつぶやいた。

*1:江戸時代は「ぞいな」「ぞいなア」と書かれたことの方が多い。