大言海

「五反田で『大言海』5冊を買う」(古書の森日記 by Hisako)を見て、
http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20060204/1139039122
に書いたときに見たのは、幻ではなかったのだと改めて思いました。
その折に足を伸ばした、BIGBOXの古書感謝市でもらった翌月(三月)の「目録抄」で、2500円で出ているのに後で気付いたので、だいぶ安くなっていることは確かだと思っていました。

「取り逃がした魚は大きかった」(四谷書房  店主の読書手帖)では、3000円の値段が付いていた、という話でした。

私自身は、一冊本(ただし新編ではなく、「ん」が「む」の後にあるもの)を、ずっと以前に買いました。それでも5000円以上したように思います。
五冊本も欲しいと思っていましたが、欲しかったのは索引の巻。これは、最近買いました*。索引の巻だけで千円。これでも安いと思って買ったのです。



黒岩比佐子さんもお書きのように、この暴落ぶりを泉下の大槻博士はなんと思われるでしょう。

ここで、「ことばのうみのおくがき」の一節を引用しておきましょう。

おのれ、もとより、家道裕ならず、されば、資金の乏しきにこうじて、物遠き語とては漏しつる、出典の書名をはぶきつる、図画を加へざりつる、共にこの書の短所とはなりぬ、遺憾やらむかたなし。そも、おのれが学の浅き才の短き、この上に多く立ちまさりて、別にしいでむ事とてもあるまじけれど、今の目のまへにてもあれ、資本だに継がば、これに倍せむほどのもの、つくりいでむは難からじなど、かけておもふ所なきにしもあらず。されど、我が国の文華は、開けつるがごとくみゆれど、いまだ開けず、資金をつひやして完全せしめむには、価を増さずはあるべからず、今の文化の度にては、物の品位に対して廉不廉などの比較は、おきていはず、たゞ書籍なんどいはむものに、そこばく円といふ金出さんずる需用家の多からむとは、かけても望みえず。されば、たとひ資本を得たりとも、収支の合はざらむわざは、をこなりけりと思ひなりて、志を出費の犧牲として、さて已みつるなり。むかしの侯伯には、食前方丈侍妾数百人をはぶきて、文教の助けとある浩瀚の書を印行せしもありき、今の世にはありがたかり。こゝにいたりて、韓文公が宰相への上書をおもひいでゝ、あはれ、力ある人の一宴会の費もがな、などいやしげなるかたゐ心もいでくるぞかし、やみなむ/\、学者の貧しきは、和漢西洋、千里同風なりとこそ聞けれ、おのれのみつぶやくべきにあらず。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000457/card43528.html

言海』は近代デジタルライブラリーなどでも見ることが出来ますが、『大言海』はどうしたものか。没後の刊行ですが、著者名は大槻文彦の単著の形になっています。序文などをよむと、他の人の手が入っていて、「著作権は切れている」と言い切るのは難しいようにも思います。(あとで著作者登録をしていなければ大丈夫だとは思うのですが)