正誤
漢字のテストなどで、ハネやトメにこだわりすぎる採点はやめて欲しいと常々思っていて、それは、常用漢字表*の「字体についての解説」*1などで理論武裝できる。
ところが、そのような公式の基準だけを根拠にしようとすると、困ってしまうことがある。「現代仮名遣い」における、拗音・促音の小書のことだ。これは、「現代仮名遣い」*では、「なるべく小書にする」となっているのであって*2、小書にせねばならない、とは書いていないのだ。
印刷時の振り仮名等はそれに従って小さくしていない、と言われるが、問題は振り仮名ではない普通の時だ。漢字のよみのテストで、拗音・促音を小さく書かなかったら×にするであろうと思うが、これは、何を根拠にすればよいのだろう。
問題には「よみを現代仮名遣いで書きなさい」とは普通書かないが、現代語は「現代仮名遣い」で書くべきだと教育しているだろう。「現代仮名遣い」で、「なるべく」と言っているものを、それから外れることで×にしていることは、不安になるものである。
指導要領だとかにあるか、と思ったが、「正しい書き方を習得する」などの記述はあっても*3、「拗音促音は小さく書く」といった具体的なものはないように見える。「なるべく〜〜」は、正しいのだ、という判断があるのだろうけれど。
連想で話題がズレて行くが、古典の問題で、歴史的仮名遣いで読みを書け、というのがあって、「仁和寺」が含まれているのを見たことがある。出題者の意図としては「にんなじ」と書いて欲しいのだろう、と思うのだが、歴史的仮名遣いなら「にんわじ」だろう。
さらに連想はとんで行くが、「本意」を「ほい」と振り仮名して「ホイ」と読み、「あめり」を「アンメリ」と読む「読み癖」。これ、高校生への古典教育にどの程度必要なのだろう。
「本意」に「ほんい」と振り仮名をして「ホンイ」と読み、「あめり」は「あんめり」と訂して*4載せ「アンメリ」と読む。それでいいのではないか。
〈古典において「給ふ」は「タモー」と読むべきで「タマウ」と読むのは間違い〉という考えにも賛同しない。江戸時代後期以降に形成されたと思われる「古典らしさ」を、現代の人間が平安時代(など)のものに触れる際に求める必要はないし。
【補記】
江戸から明治にかけて作り出されたものこそ、古典文学的なものである、という考え方もあろうとは思う。