読了
一昨日購入の、鳥飼否宇『中空』を読んだら、日本語史的に言いたいことが出てきたが、ネタバレになるので控える。ただ、
四声というのは現代中国語の発音じゃ。(7字略)当時の中国語の読みに倣った発音が漢音じゃ。(p301)というのは、ちょっと。
現代北京音にも四声があるが、古い中国語にも四声がある。平上去入*1。細かいことはよいけれど、漢音に声調が無関係であるかのように書いているのは落ち着かない。
ついでに、「我慢できんくなって」(p252)は、五十代の話す鹿児島言葉として、アリなのだろうか。参考文献の木部暢子『鹿児島県のことば』が手許にないのだが。
もうひとつついでに、
「[……]かぐや姫はひと言で言えば、オホン、竹の象徴なのじゃよ」フェル博士、ディクスン・カーですか、誰の翻訳でしょう。
「なんじゃそれ? それにどうしていきなり博多弁からフェル博士口調になっちゃうんだ? しかも翻訳調」(p238)
*1:漢音の場合は、平と入が二つに別れた六声だったようだけど