九州勢

高野連会長だった牧野氏が、先日亡くなったとき、休みを多くして選手の負担を減らした功績があった、などと書いていたが、本当にそうか? せいぜい準々決勝を二日に分けたぐらいではないか。一日四試合も結構多いし。


連投で肩を壊した人で思い出すのが、沖縄水産の大野投手。覚えているのが、決勝戦前日に「何点ぐらいに抑えたいか」と問われて「七点」と答え、「そんなに取られる気で居るの?」と大笑いされたらしい。決勝戦前日のニュースで見た。ところが、蓋を開けてみれば、味方チームは8点取ったものの、十何点か取られ敗北。予言の的中に驚いたものだ。

沖縄水産は前年にも決勝戦に出て敗北。二年連続準優勝だった。その翌年は、福岡の西日本短大が優勝した。佐賀と鹿児島の決勝戦もあった。昨日書いた熊工の決勝戦もあった。九〇年代の前半あたりは九州勢が強かった。

西短が優勝したときの日記。

12:00から、高校野球の決勝戦がラジオ日本で同時中継されている。「この放送はラジオ日本で全世界にむけて放送しています」というのは、日本でも聞いたことが有ったが、本当に外国で聞くとは感慨深い。しかも福岡県代表の西日本短大附属が出ているのである。興奮して耳を傾ける。13:00前からは電波状態も良好になって、日本に居るのと変らないような感じで野球放送を楽しむ。14:00前には福岡県勢27年ぶり(三池工業以来)、九州勢20年ぶり(津久見高校以来)の優勝を味わうことが出来た。私にとっては九州勢の優勝をその瞬間に味わうのは始めてである。去年、一昨年と沖縄勢が決勝戦で敗退していたので、ようやく、という感じである。優勝インタビューでキャプテンが「なんがなんかわからんやったです」と言ったその言葉の響きが懐かしくて嬉しさが倍増であった。
12:00というのは中国時間。約一年、滞在した。