会場は沖縄国際大学九州大学との共通点を思いながら、普天間基地の見える場所まで行ってみる*1

想起

普天間の有刺鉄線を見て思い出したのは、小6の頃、近くにあった春日原の「ベース」(あるいは「ベースキャンプ」)と呼ばれていた米軍の施設だ。返還が近づいていた時期だが、銃をかついだ米兵らしい人もいたと思う。

そこに忍びこむぞ、と友人に言われた。そんな恐ろしいことは嫌だったが、いじめられていた学校から転校して来たばかりの私は、友人に見捨てられるのが嫌で、自分の背よりも高いセイタカワダチソウを掻き分けて有刺鉄線のあるフェンスまで来た。
友人は忍び込みなれているらしく、フェンスの破れ目から入り込んだ。私も、意を決して入る。入るだけで満足して戻るのかと思いきや、友人は草をかき分けて進んでゆく。兵隊らしい姿は見えない。


友人は道を横切り、小さな建物に入った。私もおびえながら続く。そこはトイレだった。巡邏中の兵士用なのだろうか。これが私の洋式便器を見た初めである。1972年のことだ。


友人は、ここで用を足すといい、個室に入った。やりにくい、と言いながらも出し終えて、「さあ帰ろう」と、見つからないか見回して、フェンスの方に向かった。私も後を追い、越境経験は終わった。

*1:現場も気になったが場所が分からなかった。。現場を見た人によると、黒く残っていたらしい。