授業形態

昨日の続きのようでもあるが、
http://d.hatena.ne.jp/lonlon2007/20080605/1212596527
を見て感じたこと。
「黒板に板書する時間の無駄」については、時間を掛けたいものもある。
たとえば、私は黒板がわりのエディターに五十音図を書くことがある*1。これは、一瞬で出そうと思えば出せるのだが、時間を掛けたいのだ。


それから、教師がPCを使い、受講者もPCを使い、という双方向的なPC利用の授業を、やってみたいという気は、前からしている。


しかし、評価が難しいだろうと思う。


私は、試験の際、「すべて持ち込み可」で試験をすることが多い。全てと言っても、PCや携帯電話など、外部との連絡が可能なものについては、持ち込みを禁止せざるを得ないのが実状だ*2
HD内やネット上にある資料を駆使して答案を作成し、出典もきちんとつける、というのであれば、問題はないのだが、外部との連絡が可能な場合には、受験者ではない人間が、そうした答案作成を行う、ということが起こりうる*3


試験の時にPCが使えないのに、授業でPCを使う難しさだ。試験形式ではなくレポート形式で評価するような授業でなければ使えないように思える。


レポートであれば、課題の出し方を考えれば、憑切や使い回し等は難しくなるだろう。
もし、こちらが要求するようなオリジナルのレポートを自分ではない誰かに仕上させる能力があるのであれば、これはもう、そうしたことが可能な実力の持主と認めざるを得ないように思う。富豪刑事ならぬ富豪学者というのがいたりして、というのを考えたことがあるが*4


高校以前では難しそうですね。大学入学を目的とするものではない、という授業でないと。

*1:そのあと、それに、濁音・拗音などを追加して行くのだが。

*2:他に、音声を発するなど他の受験者に迷惑となるものの持ち込み、人間の連れ込みも禁止と宣言している。

*3:そうしたことが可能なのもその人の実力の打ち、と言ってしまっては身も蓋もない。

*4:論文を書くためにプロジェクトを立上げ、いくつかの文献の総索引を作らせたりする、みたいな。今だったら、タグ付きテキストを作らせる、というところでしょうか。