じゃ、私も。 「わらじばきの館長」

http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20080721/p1
実藤文庫*目録から、実藤恵秀氏(さねとうけいしゅう氏)本人による「実藤文庫のいきさつ」の一部。

 まいにちのように 空襲のつづくころ──1945年5月7日の朝日新聞「青鉛筆」欄は,こういうかきだしであった。
 「東京都ではこのほど無防備のまゝ学界に散在する貴重な書籍を買ひ上げて疎開させ,二十世紀の焚書からしっかり護ることとなった。」
(中略)
 わたくしは これをみるなり,すぐ 日比谷図書館にでかけて 中田邦造館長に面会をもとめ,わたくしの本も 疎開してもらいたい と もうしいれた。
(中略)
 数日後 中田館長は じぶんで見に来(どうしたわけか わらじばきであった),これなら けっこう と いうことになって 勤労奉仕の中学生たちの リュックによって 鷺宮から日比谷に はこばれた。しかし なかなか らちが あかない。6月26日の大空襲のときは 東游日記をば 防空濠になげこんで 土をかぶせた。たまりかねて じぶんで せおっても いった。あつまったところで 奥多摩疎開,そして まもなく敗戦。疎開された本は 帰ってきたが 駿河台→京橋→日比谷と うつっているうちに 水災などあって 廃棄したものも あった。