また出た夏目漱石の肩凝り
昨夜のテレビで、また漱石が「肩こり」という言葉をつくった、という話が出ていた。
『たけしの新・教育白書〜「学び」って楽しいぞSP』
の、
「“教えの達人”の特別授業 「今だからこそ面白い!国語・算数・理科・社会」」
の「国語」枠であったと思う。
「肩凝り・不可能・野次る」の3語が示されたが、話題になったのは「肩凝り」だけだったと記憶する。
肩凝りについては、これまでにここやここに書き、来春刊行の論文にもした。
web上では、「肩がこる」の江戸時代の用例を二つ引いて置いたが、論文では、他にも江戸時代の用例や、明治でも漱石以前の用例を追加しておいた*1。「肩こり日本人特有説」にも、少し触れた。
論文にも引いたが、既に、
http://www.nikkoku.net/tomonokai/toukou_card.html?snum=202
という指摘もあった。
栗山茂久「肩こり考」(『歴史の中の病と医学』思文閣出版 一九九七年*)も、江戸時代、山脇東門『東門随筆』の例を挙げている。
テレビの中で、「漱石以前には誰も言ってないんですか」というように質問をした人が居て、それに対して、「ほとんど居ません」という感じで答えていた。「ほとんど」って何、と思いながら、論文の最後に、
江戸時代のものだけでなく、明治時代のものを多く挙げたのは、埋もれていたものに漱石が光を当てた、などという見方を封じるためである。
と書いたのを思い出した。
追記
11/27の「世界ふしぎ発見」でも出たらしい。