なります問題その後のその後
http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20120421/1334976572
http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20050501/1294962613
これと関わる話題が、
http://togetter.com/li/592307
ツイッターで話題になっている。
「四歳になる娘」問題である。
上記の中で、
「コーヒーになります」
の類と同じだから、「四歳である」の意味になる、という説明をしている人もある。
たしかに、現在はそう取る人もいるのだろう。
ただ、かつては、
「1+1は2になる」
「四歳になる」
のような場合にしか、変化を伴わない「になる」が使われなかった時代があるのだ。
http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20120421/1334976572
http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20050501/1294962613
(くどいけれどリンク再掲)
そのような時代の「四歳になる」のような言い方は、「1+1は2になる」と同様なものとして扱わねばならない。おそらく、「四歳になる」も、「子の年生まれで、今年は卯年だから四歳になる」のような、計算の結果を示す言い方から来ているのであろう*1。
(そういうところから来ている、のであって、年齡を言うたびにそういう計算をしているはずだ、というわけではない*2。)
今まで書いたように、
http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20120421/1334976572
http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20050501/1294962613
(くどいけれどリンク三掲)
そのような状態から、計算結果のような、いつでもそうなるものでなくとも、
このコーヒーは280円になります。
のような言い方がなされるように広がり、さらに、
コーヒーになります。
へ広がったのであろうと見ている。
補記
この「コーヒーになります」の類の新用法は、丁寧形でないと使われにくいという指摘があり、また「コーヒーになる注文」(「コーヒーになります注文」)のような形では、まず使われない(「コーヒーの注文」)。
そのことが、現在において、「コーヒーになります」に違和感のない人でも、「四歳になる娘」との連続性を感じる人と感じない人が居る、ということになっているのだろう(ツイッター上や、上記togettorのはてぶ*3で)。
なお、円城塔の芥川賞受賞作品の冒頭の文は、最初読んだときに意味が取れなかったが、非丁寧形の「〜になる」が、「〜である」の意味で使われている例であると考えて、理解できた。
今、手許に見当たらず引用できないが。
訂正
記憶違いでした。
まず、冒頭ではなく、「Ⅱ」の冒頭。
「になる」ではなく「となる」でした。
さてこそ以上、希代の多言語作家、友幸友幸の小説『猫の下で読むに限る』からのほぼ全訳となる。
『群像』66-7 p.47
今回の話とは、切り離した方がいいものでした。
尚々
石垣謙二「作用性用言反撥の法則」*で、13作品のうち、愚管抄に一つだけあるという例を見てみた。
子どもには越前守基盛と、十三になる淡路守宗盛と、侍十五人とをぞ具したりける。
旧日本古典文学大系 p.230 原文の表記を変えたhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991104/258 後から五行目
というもの。