中国

12月2日(星期三)

 子供が着ているジャンパーに「クセブのあ」と書いてあった。「をるきや」と書いてあるのやら、不思議な日本語が多い物である。

12月9日(星期三)

 学生さんも「うつくしい」と書いたジャンパーを着ている。

12月17日(星期四)

 昨日読み始めた三浦哲郎の「海の道」を読了。これで『新潮現代文学』の彼の巻を読了した。「忍ぶ川」のシリーズの方がよかった。

12月19日(星期六)

 借りた『愛人あいれん−中国的離婚事情』(多田佳子著、五月書房、1990年6月8日発行(新装版)1900円。「はじめに」日付1987年10月20日)読了。誤植の多い本である。古典全書の『伊勢物語』入力了。

12月20日(星期日)

 昼食を食堂で取る。井上靖『戦国無頼』読了。解説によれば、井上靖芥川賞後の最初の時代小説だそうだ。三人の男と二人の女である。

12月22日(星期二)

 印刷物類の転送が届いていた。『波』や『ちくま』が嬉しい。

12月26日(星期六)

 昼ごろから停電となる。訳制片『寅次郎的故事』を楽しみにしていたのに残念である。夜も停電が続くので寝るしかない。

12月27日(星期日)

 南の方へ行く。まずは楊虎城将軍の墓とその上の方にある杜甫の廟である。杜甫の廟には何も無い。展示室が閉っているのかもしれない。観光案内には、現存唯一の自筆のものがある、と書いてあるのだが。華厳寺には道路工事中とかで行けない。胡亥の墓に行く途中、杜陵の町を通り、左折して北上し始める辺りに漢宣帝の墓、杜陵(『陝西省地図冊』には献帝墓とあるが、xianとxuanが似ているの為の誤植であろうか)があるのだが、その辺りに石の像が見えた。畑の中を歩いてそこまで行く。雪が積っていて足はびちょびちょである。
 寒窰(望夫亭)というのは烈女の廟である。
 胡亥の墓。趙高の馬鹿の人形が置いてある。趙高は宦官なのに髭が生えている。土饅頭のうえに登ると大雁塔が見える。往古はここから大雁塔までずっと曲江池だったあたりである。曲江池の模型も置いてある。
 青龍寺のそばの店で昼食。夏に我々で行った「レストラリ」である。
 停電は六時になってようやく終了する。

12月29日(星期二)

 夜は4年生の忘年会。7:30からという事であったが、9:00前に始まる。「熱き心に」を歌う。10:00すぎに帰る。

12月30日(星期三)

 夜は教研室の忘年会。4:30からということであったが、4:30準備開始という感じで、7:00ごろ始まる。「昴」を歌う。10:00すぎに帰る。

12月31日(星期四)

 夜は3年生の忘年会。7:00開始という話だったが、7:30すぎに行ってみる。開会宣言などは何も無く、流れるように始まる。元宵を食べたり、餃子を食べたりする。「昴」と「北酒場」を歌う。しかし、声量が出なくなったと感じる。 11:00前に帰る。日本はもう新年なのだ。
今月は、『新潮現代文学』の井上ひさしの巻を読了。(未読だった「月なきみそらの天坊一座」を読み、既に読んでいた「薮原検校」を再読し、同じく既読の「モッキンポット師の後始末」を流し読み)。司馬遼太郎の巻は「燃えよ剣」でこれも読了。