「カラオケ卒業」ではない。

卒業生たちと「惜別会」の二次会でカラオケに行ったわけだが、若い人たちとカラオケに行ったときには少しだけ選曲を考える。

若い人に合わせて、というわけではなく、「昔の歌にはこんなのがあるんですよ」ということを教えてあげたいということも考えるわけだ。

今回は、その条件に加えて、卒業カラオケだから、中身もそれらしくなる。「出発《たびだち》の歌」などを熱唱したり。

他の先生方も、「青年は荒野をめざす」「また会う日まで」など。

学生たちも「卒業写真」をうたったりしている。また、「思い出がいっぱい」は、H2Oの歌としてではなく(聞いたことがないそうだ)、卒業式用の歌になっているという。「卒業写真」について、「ユーミンのしか知らないでしょう?」と言い、流行ったのはハイファイセットだ、と言おうと思った*1のに、「いろんな人が歌ってますね。浜崎あゆみとか」と言われ、事実自体は知らないけれど、なるほどそういう状況なのか、と思う。

で、私は、普段ならまず歌わない歌だが、松本隆作詞の「制服」(松田聖子)を選んだ。女声用の曲も少しは歌いたい、という思いはあるが、この手のは少し恥ずかしい。でも、同じ松本隆の「卒業」(斉藤由貴)よりは*2、よく出来ている曲だと思うし、B面(「赤いスイートピー」の)でもあり、題名が直接卒業を想起させないこともあり、現在に於ける知名度では斉藤由貴「卒業」に及ばず、3月末の定番曲とはなっていないように思えるので、「こんな曲がある」に相応しいのではないかと思った次第(曲は「赤スイ」同様、ユーミンだ。呉田軽穂名義)。

しかし、予習をしていなかった。「桜が枝に咲く頃は」から始まる部分が、全く記憶に残っていなかったのだ。それで「雨に濡れたメモには」で、元に戻れなかった。

松本隆の作詞の、「うまいな」と思うところは、「雨に濡れたメモには東京での住所が」とだけあって、「雨に消えたメモ」としないところにも感じる。「打ち明けたい気持ち」を持つ「ただのクラスメート」の東京での住所を手に持っているのに、それを「握りしめて泣いた」のは、せっかく書いてもらった住所が消えたからではなく、なにか深い理由がある、と見える。
聞き手が、「ああ私もそうなの」とか、「僕はあの娘に住所を渡したけれど連絡してくれないのは僕のことが嫌いなんじゃなくて、なにか理由があるんだよ、きっと」と思ってくれればよいわけ*3

ちなみに、松本隆はアイドル歌手への歌詞作りでは、モテない男に買ってもらおうと狙って作ることがあると思われ、その極北(?)にあるのが、太田裕美に書いた「しあわせ未満」だろう。「モテない僕をなぜ選んだの」とあるのだもの。「制服」のA面の「赤いスイートピー」に出てくるのは、「手も握らない」、(恋愛に)内気な彼氏なのだが、「これは僕のことだ」と思ってレコードを買った男が、そのB面を聞くわけである*4

話が大きく逸れ、想定以上の時間を食ったが、世代差のあるカラオケでは、「こんな曲もあるんだよ」という歌を歌いたいし、聞きたい、ということだ。

*1:そこから「記憶は捏造される」という話をしようと思った。「中央フリーウェイ」なんて、庄野真代のものは多くの人の記憶から消されているように思える。私も「流星になったみたい」の「みたい」の部分が違う歌い方だった記憶はあるのだが、具体的には思い出せない。

*2:これも、「制服」同様、男が東京に出て行く話。「木綿のハンカチーフ」もそうだけど、「木綿」は卒業を契機とはしていない。「華やいだ街」が南ではなく東にあるのは、東京人の松本隆としてはどういう選択だろうか。海援隊の「故郷未だ忘れがたく」が「東へ走る夜汽車」で家を出るのは、福岡人としては当然なのだが。

*3:「雨に消えた」と取る聞き手がいてもよいのだろう。

*4:松本隆は「B面にいい曲を入れておくとアルバムが売れる」と語っていて(数年前のNHK-FM)、これも戦略なのだ。