吉川幸次郎

 今日は朝から頭痛。バファリンを飲み、すこし寢る。完治はしないが、行動可能になったので起き出す。
 端本で持っていた『吉川幸次郎全集』19巻を見て、これに収められている『洛中書問』が、大山定一*1の文章も含まれていることに気付く。なんとなく吉川氏のものだけだと思っていた。70頁程度に収まっているし、目次もそっけないし。そんなことなら、筑摩叢書版をナニしないまま、ナニできたのになぁ。
 なお、この19巻は「外国篇」で、日本と中国以外のことを纏めている。他に私が持っているのは、20巻の「雜篇・詩篇」(神戸高校校歌*2洛北高校校歌も載っている)、18巻の「日本篇下」。日本篇上を見付けたら買わねばならないと思っている。
 20巻を読み始めてしまう。全部読んだわけではないが、ざざっと目を通してしまう。文末の書誌情報に見える「短長亭集」というのは、「断腸亭」を意識しているのかな、と思いながら読んで行くと、「随筆集「短長亭集」あとがき」という文章があって、やはりそうであった。更に、金の元好問の絶句に「短長亭は是れ断腸亭」という句があり、

「短長」と「断腸」とがお互いにパロディであること、荷風の意識にもあったかも知れぬ。
との補記がある。

他にも、引用したい文章はあるが、一つだけ。

そもそも日本で編集され刊行されるいわゆる「全集」は、およそ著者の筆であるかぎり、断簡零墨まで、したがって不用意の私信まで、もれなく集録することを理想とするようで、風習はおそらく大正末年の「漱石全集」に始まると思われるが、これもしょうしょう勤勉すぎないか。(p453「随筆四篇」)
「全集」と称していながら、「全」集になっていない、という文章は目にすることがよくあるが、逆なのが目を引いた。

*1:大山定一資料室というページがありました。リンク先の「ワークブック」にも、「ていいち?さだいち?」「大山定一の故里をたずねて」があります。ご子息によるもののようです。

*2:1949年。信時潔作曲とのこと