明治の「東京語」

嵯峨の屋御室「野末の菊」(明治22年)に、次のような一節がありました。

 元來此少女の語《ことば》は田舍語《ゐなかことば》が其|性質《もちまへ》です、然し東京を慕ッて居る心は其|語《ことば》をも慕ひます、ですから東京の人に對すると自然東京語で話さうとします。但《たゞ》しお糸の心の中《うち》で東京語の雛形《ひながた》となるものは教師|某《なにがし》の語《ことば》です、其故此少女の語《ことば》は田舍娘と自然に違《たが》ッて餘り聞よくハありません、(『明治文学全集17二葉亭四迷・嵯峨の屋おむろ集』p282)
森鴎外の『青年』*太宰治の『津軽*が、小説や少年雑誌を東京語の手本とみているのと違って、音声的な東京語に触れているのを面白く思います。

埼玉辺り(ベエベエことば)のようですから、東京に近いので、東京から来ている教師がよく居たのでしょう。