区別できない

「地球の上に朝が来る その裏側は夜だろう」と「義理ある人に背を向けて 別れてきたと君は泣く」。前者を歌おうとしても後者になる。



「山には山の憂い有り」*1と「さちこのさちはどこにある」は、区別できます。



そういえば、中村雅俊の「恋人も濡れる街角」と、研ナオコの「夏をあきらめて」と、サザンの……なんだっけ……Yaya?。これらは同じ曲を別の歌手が歌っているのではないかと思っていた。ただ、今「夏をあきらめて」を思い出すと、研ナオコの声ではなく桑田の声で思い出してしまう。



上の方に書いた「ナイアガラ音頭」の冒頭は、明らかに「八木節」*2を下敷にしている。「八木節」の音程が上昇して行くのに対し、「ナイアガラ音頭」は下降させている。

*1:この「憂い」は「憂え」では締まらない。

*2:ちなみに、私は「主客未分」という言葉を聞くと「八木節」を思い出す。「主客未分の櫓の上で」というわけだ。