本の破りかた
普段は、裁断機を使って本をバラバラの紙にするのだが、手で破ることもある。破ると言うときつい言い方だが、剥がすのでなく、破るつもりでいないと作業効率が悪いし、出来上がりが悪い場合もある。
ここでいう出来上がりとは、ADFにうまく掛かるか、つまり、一枚一枚の紙になったものを重ねたときに、うまく纏まってくれているか、というようなことである。
単行本、ハードカバーを手で破ろうとすると、大変である。糸をたくさん使って製本していることが多いし、糊付けも丁寧である。これを破った後には、たいてい固まった糊が付着していることが多いので、ADFに掛ける前にこそげ落とさねばならない。これは、詰まる原因にもなるし、熱を持ったスキャナによって溶けた糊が、スキャナのガラス面に貼り付き、その部分を読み取れなくしてしまうこともある。ADFの付いたスキャナの多くは、紙を送りながらごく狭いガラス面でスキャンしているので、一点の曇りが、一行分の曇りとなるのだ。
新書・文庫のようなペーパーバックでも、糸綴じのものは有り難くなく、無線綴じが望ましい。糸でかがってあるものは、その纏まりごと(16ページずつなど)に、背表紙から剥がして行き、そのあとで、半分に切り取る。糸が残る場合もあるから取り除かねばならない。また破らねばならないので、膨れ上がる。
無線綴じの場合は、適当に背表紙から剥がしてゆく。この適当には、慣れが必要だ。一枚ずつ剥がそうとすると糊の接着力に紙が負けてしまい、紙の一部を糊に残したまま、破れるように剥がれてゆく。逆にあまりに多くの紙を一度の剥がそうとすると、糊は割れてしまい、糊の付いたままの紙束が背表紙からベリッと剥がれるだけである。適度な厚さだと、糊は背表紙に残り、紙だけが殆ど破れることなく手許に来る。
この「適当」は、糊の種類によっても違う。強力な糊、弱い糊、しなやかな糊、もろい糊、いろいろである。
気に入っているのが、1970年代の岩波新書や岩波文庫。有線綴じと思ったのだが、無線綴じで、この糊がしなやかでよい。紙には殆ど糊が付いてこず、纏めて剥がすだけでよい。
これは剥がすときだけよいのではなく、普段でも、背表紙を180度にしても、製本が壊れない頑丈さを持っているように思う。桂川製本・永井製本・田中製本、いずれでもよいようだ。
60年代は糸綴じの様だ。
同じ岩波文庫でも80年代のは堅い。しなやかさが足りないのだ。でも、いざ破ると、結構綺麗に剥がれてくれる。70年代のと比べると、少し後処理が必要ではあるが。
最近の本は糊が強すぎるものが多いように思う。プラスチックの糊である所為もあるだろうか、割れるか、へばりついてくるか、というものが多いように思う。