多義多義しくなりぬ

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私が書くことは、周回遅れの話というか、別の話というか、になるけれども、人に国文学の意義というようなものを伝えたいときには、読みの多様さというか豊かさというか、そうしたものが得られる、という話をするとよいのでは、と、ここのところ思っている。

「本なんて、自分の好きに読めばいい」という考えに対して、「自分では好きに読んでいるつもりかもしれないけれど、それは浅い読み方かもしれない。国文学を学べば、説得力のある多様な読みに触れることができるし((多様と言っても、感想を好き勝手に言っているのではない、ということも言っておかないといけませんかね。いくら、これまで誰も思いつかなかったような新しい読みでも、証拠や説得力がなければ、読みが豊かになったことにはなりませんしね。))、自分で新たな読みを見いだすための訓練を積めますよ」という宣伝ができるだろうと。


一方、「どうすればちゃんとした読みに到達できるのだろう」と思っている人は、誘わなくても国文学に理解を持ってくれるかな、と。