方言も面白いが文献も面白い

今日はお金が入ったので、早速、古書店に送金。

今日は、「捨てる」にまつわる語をいろいろと眺めていたわけだが、「ほうる」という言葉は面白い。「ほかす」も関わってくるのだが。

その後、太田為三郎『日本随筆索引』で、「ほかす」を見ると、入江昌喜『幽遠随筆』にあるという。『幽遠随筆』は、『日本随筆索引』刊行当時は活字化されて居らず、見られないかと思ったら、『日本随筆大成』1-8(新1-16)に載っており、簡単に見られた。

世俗に物を捨るを、ほかすといふも古きことば也。おちくぼ物語に、おちくぼをさしのぞきたれば、いとたのみすくなげなる白きあはせひとつをこそ着てゐたりつれ。子どものふるぎやあるきせ給へ。よるいかにさむからんとの給へば、北の方、常にきせ奉れど、ほかし給ふにやと云々。
とある。「ほかす」が平安時代の作品にあるということだが、どうもあやしい。依拠した本文に問題があるのではないか*1、と『落窪物語』を旧大系本で見てみると*2、ここの部分は「ほらかし給ふ」になっていて、校異がある。

「はふらかし」
「ほゝかし」

また、角川文庫(柿本奨校注)によれば、宮内庁書陵部本では「はふかし」となっているようだ。

近世期以降の発音に順えば*3、「ほーらかし」「ほーかし」「ほらかし」「ほかし」などがあることになり、本来はどれであったろうかという推察も面白いが、このような様々な形が写本に見えること自体が面白い。本を写すとき、どのように見取って、どのように書き取るのか。

方言も、さまざまな変化した形があって面白いのだが、文献上の変種も面白い。本来の姿を求めるための手がかりとしての校異だけでなく、あきらかな誤写なども含めた校異が見たいところである。

*1:落窪物語』の板本は、寛政六年に出たようで、『幽遠随筆』(安永三年刊)は、写本をみたものと思われる。

*2:p49。新大系の『住吉・落窪』が見当たらない。

*3:落窪物語」も、近世期の写本が殆どである。