届いた
本やタウン経由で申し込んでおいた、府川充男『印刷史/タイポグラフィの視軸―府川充男電子聚珍版』ISBN:4916043820。
〈楷書平仮名交じり表記〉*1について、ちょっと調べているのだが、宣長だとか篤胤だとかの国学者のものに比して、読本についての言及があまりなされないのはなぜだろう。この本では、
庶民が読み書きする文字は通常連綿する行草であり読本等の漢字(精々五百字種くらいか)には仮名が振られていた。とあるが*2、馬琴の読本など*3は漢字の種類も多く、〈楷書平仮名交じり〉に見える(行書も混るが)。私としては、この〈楷書平仮名交じり〉を新和漢混淆文(和漢混淆表記)とでも呼びたいところなのだ。
つまり、近世期の考証随筆などで、本文は行書平仮名まじり文で書いてあるのだが、その中に漢文が引用される際に、漢文は楷書で書かれることが多いように思う。そのような、書体による住み分けを、文脈レベルに留らず単語レベルでも雑ぜたのが読本の表記なのではないか、と思っているのだが、高木元氏はどういう風にお考えなのだろう。発表された書評*には見えないが。
国学の方の楷書平仮名交じりには『聚珍録』でも書いてあるし、矢田勉氏の論などがある*4。
府川氏が「新たな補助線となった」という、鈴木広光氏の講演が公表されることを期待したいものです。
自分の不勉強ブリを晒すようだが、一応書きとめて置くことにします。