「京の着倒れ、○○の食い倒れ」
呉智英氏の産経新聞連載。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080413/acd0804130409002-n1.htm
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/137246/
「マスコミよ、通説を疑え」という趣旨はごもっともである。
一番有名なのは「京の着倒れ、江戸の食い倒れ」だ。
というのはよいが、
大阪の食い倒れなんて、戦後のことだ。
は、ちょっと。
嬉遊笑覧(1830年)に、
○俗諺に、江戸の喰倒れといふは、もとさにあらず。「元禄曽我物語」に、実にまこと京は着てはて大坂は食て果るとかや云々、此をとりたるなり
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元祿曾我物語は、都の錦の作品(1702年)。
何日の頃かや、京の安房《あはう》と大坂の粋と伏見舟に乗合て、京の安房が話には、
http://docune.jp/doc/3995
「大坂は水が悪うて染物洗物がならぬ。晒の帷子を一度水へ入れば玉子色になり、二度洗へば鼠色になる」
といへば、
大坂粋「なんぼそちの水をほめさしゃっても、京にはない物が多い。先、大坂の様なぴち/\はねる鯛があるまい」
京安房「そんなら糸織の類がなるか」
大坂粋「料理した泥鼈《すっぽん》があるか」
京「くゝし鹿の子や紅染は都でなければならぬ」
大坂「天王寺蕪と浮無瀬の盃は都にゃない」
京「最早いやるな、四も五もいらぬ。天照大神に続いては、唐にもない禁中様が御座ります」
といはれて、大坂者口が開《あか》ぬ。
実に誠、京は着て果、大坂は喰て果るとかや。京の者の問様は皆衣類を以てし、大坂者は食物自慢に返答する事、さりとは下卑た所じゃ。
http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABN04117934
大坂「食い倒れ」
いづれ喰だをれの大坂とても殊更口は栄耀に成行
とあり、雑俳・滑稽発句類題集(1817-31)−二・上に、
大坂。〈略〉 日本の米の集まる喰ひ倒れ
とあることがわかるのだが、軽口筆彦咄(1787年)にも、
江戸の呑(のみ)だおれ京の着(き)だおれ
田舎(いなか)の人、大坂へはじめていて、さても聞(きゝ)しにちがわず、大坂ハ肴(さかな)や、菓子(くわし)や、酒や、もちや。まことにくひだをれといふがこれなりとおもひ、そこ爰(こゝ)と見物(けんぶつ)するうちに、日もくれければ、町にわり竹引て、ひいの用心/\とふれければ、田舎人さてこそな
とある*1。
ほかにもあるが、面白いのを引いておこう。
予《よ》がここに「京の着倒《きだお》れ、江戸の食倒《くいだお》れ」という俚言《りげん》を引《ひ》き来《きた》りたるを怪《あやし》むことなかれ。「京の着倒れ、江戸の食倒れ」とは、江戸っ子すなわち旧時代の東京人の云うところなるが、大阪にもまたこれと意味を同《おなじ》うする俚言あり。すなわち、「京の着倒れ、大阪の食倒れ」というなり。何《いず》れにしても、これ、京都人が食物道楽《くいものどうらく》にあらずして着物道楽《きものどうらく》なるを意味するもの。すなわち、食物を重んぜずして衣服を重んずるを意味するものに他ならず、しかもこの語が、大阪という都府《とふ》および江戸という都府《とふ》が日本に在《あ》りてより後《のち》──すなわち豊臣時代以後むしろ徳川時代となりてよりの産物《さんぷつ》なることは、云うまでもなきところなるが、いわゆる「京の着倒れ」の語に適当する事実の濫觴《らんしよう》は、実に足利系中の大馬鹿者|義政《よしまさ》の時代に在《あ》り。
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