「都」と「みやこ」

「大阪を「都」にするのはおかしい。「ミヤコ」じゃないから」
という論がある。しかし、それについては、江戸時代にミヤコでなかった江戸を「東都」と書くことについて、間違いではない、と曲亭馬琴が書いている。


「南総里美八犬伝」の「第九輯巻之三十三簡端附録作者総自評」のあとの「自評余論」に出て来る*1


この文は、八犬伝の全文がテキスト化されていたはずの、
http://web.archive.org/web/20090529053213/http://chiema.dyndns.org/nansou/nansou0.htm
こういったところには入ってなかった。
本文じゃないからですかね。


或云。近曽《ちかごろ》文人の好事なる、江戸を「東都」と書て、是に国字を施して、「アヅマノミヤコ」と読せたるあり。遮莫《さばれ》「みやこ」は、皇居の地をいふべし。武蔵は、古より皇居の地にあらぬに、「みやこ」と稱するは、僻事也と云、国学者流の弁論あり。そは翁は知れるなるべし。然るを翁の作れる物の本毎に、「東都曲亭云云。」と録したり。こも僻事にあらずや。と詰れるに予答ていへらく。
然也。皇居の地を「みやこ」と稱するは、「みやところ」の略省也。是に「都」字を借用したるは、漢土にて、天子の居る所を、「都」といへば也。かゝれども、「都」の字義は、猶多かり。『正字通』に、「天子所v居曰v都。又十邑曰v都。又邑都名相通。周禮距v國五百里爲v都。又總也。聚也。皆也。歎美辭也。凡言倶者曰v都。又麗也。間雅也。」と注したり。学者の知る所なれば、具にせず。只其要を摘むのみ。是に由てこれを観れば、和漢其差あるものから、「都」の和訓、「みやこ」のみならず、「スベテ」といふにも用ひたり。「すべて」は則「都会」の義也。然ば「東都」と書て。「アヅマノミヤコ」と読するこそ、僻事也とはいはれけめ。己は「東都」を字音にて、則是を「トウト」と読て、「東の都会」といふ義に用ひし也。かくはいへども、唐山に、東都西京の稱呼あり。又、天朝にて、中葉より南楽《なら》を「南都」としもいへば、「東都」を字音の随に読むとも。「都」を「みやこ」の義也、と思ざる者なからんや。然るを「都会の都」とすなるは、牽張傅会也といふ、理論あらん歟知らねども、其頭《そこら》の論義は、物によるべし。

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_04304/he13_04304_0016/he13_04304_0016_p0011.jpg

このあとは、「無根の小説」で、どうせ「戯墨」だから、というような調子になってしまうが、「都」と「みやこ」は分けて論じるべきだという主張は正面から受け止めたい。この時代の江戸を「みやこ」と呼ぶのはヒガ事だが、「東都」と呼ぶのは「東の都会」の意味だからよいのだ、という主張である。『正字通』にいう「天子の居る所、都と曰ふ」は「みやこ」だが、「十邑、都と曰ふ」は、「都会」「都市」の意味のようだ。


JR西日本の、「三都物語、大阪・京都・神戸」についても、ミヤコじゃないし、という批判があったが、ディケンズの「二都物語」自体が、"A Tale of Two Cities"*2である。