京都去り難し
午後から京都で研究会があるので、早めに行って、古本屋に行こうと思っていた*1のだが、今日は小学校の授業参観日であった。勤労父母が見に来ることが出きるようにという設定であろうがちょっと困った。古本屋どころではない。全部見ていたのでは研究会にも間に合わないので、キリのよいところまで見て行こうと思い、小学校に行く。(研究会に出ずに子供の授業を参観するのは、渡部昇一に言わせれば「汚職・涜職」ですね。)
午後からの研究会で会う人々に手渡そうと思っている印刷物をカバンに詰め込んでいるので怪しい風体で教室にはいる。珍しく国語の授業に当たった*2。教科書にあるのではないという谷川俊太郎の詩を読んでいる。多分先生が好きなのだろう。「たにがわ」と子供が読むと、「たにかわ」と訂正していた。
気になったのが、「カムチャツカ」と書いてあるのに、「カムチャッカ」と発音していたこと。もちろん、カムチャトカのことをカムチャッカと読む習慣があるのは確かで、気象通報でもそうだと思うが*3、「カムチャツカ」と書いてあるのに、「カムチャッカ」と読ませるのは如何なものか。「カムチヤツカ」という表記であれば拗音を小書きにしない旧表記かも知れず*4、「カムチャッカ・カムチャツカ・カムチヤツカ・カムチヤッカ」などの読みが考えられるが、「カムチャツカ」と書いてあるものを、「カムチャッカ」と読ませるのはよくないと思う*5。
谷川俊太郎が、「カムチャツカ」と表記し、朗読の際には、「カムチャッカ」と言っている、というのであれば、私の蒙を恥じる次第です。