晩鮭亭さんの「文学全集がある家がうらやましかった」という部分を読んで思いだした。

私は、文学全集がある家など想像もしていなかったのだ。文学全集というのは揃えるものではなく、選んで買うものだとずっと思っていたから*1。これは子供向けの全集でも同様で、偉人伝のシリーズも同様に思っていた。それで、多分四年生ぐらいの時に、ある友人の家に言ったら、その書棚には、偉人伝のシリーズが箱に入って揃っていて、えらく驚いた。私が、『エジソン』『徳川家康』『ベーブルース』などしか持ってなかったのが、100冊ぐらいあったのだ。しかもケースに入っている。読んでいいよというが、目移りしてしまった。『ルー・ゲーリック』なんてのもあったと思う。ある所にはあるもんだなぁ、と感心したのだった。

私の家にあったのは父の仕事関係の本の少しと、『国民百科事典』(七冊本だったかな)と実用本少々、それに気まぐれに買われてくる本。そういえば、『常識百科』とかいう一冊本の実用書もあった。これは愛読した。思い出すと、健康欄は民間療法がまことしやかに書いてあった。大量の水を飲めば胃腸が元気になるというもので、元気にならなければそれは水が悪い、といようなことだった。水道水は絶対に駄目である、と。

それらが入っていた、一つだけ有った小さな本棚の姿が目に浮かぶのだが、その本棚は多分もう残っていないだろう。

*1:そこで、思い出した。「少年少女文学全集」だろうと思って買ったのが、「少女文学全集」であることに気付き、すごく恥ずかしくなったことがあったのだ。前書きか何かに「少女のみなさんは……」などと書いてあり、読んではいけない本を読んでいるような気がしたのだった。