文体模写

黌門客2005-11-09のコメント欄に書き始めたのですが、長くなったので、ここに書きます。

見坊豪紀『辞書と日本語』玉川選書に「芥川の文体模写」という章があり、「奉教人の死」について触れてありました。石垣謙二氏が「〈の〉の使い方が新しすぎる」と指摘した話などが載っています。

「れげんだ・おうれあ」ではなく「れんだ・あうれあ」になるはず、と指摘したのは新村出であったことを思い出して、全集を見てみました。
大正七年十二月に『藝文』に発表された「南蛮録」という文のようで、

原名にしてもレゲンダ・オウレア(Legenda Aurea)はまづい。どうしても『れぜんだ・あうれや』と読ませる方が更にまことらしく見えてよかつたものをと思ふ。
と、あるのですが、その前に、
予は不幸にしてそれの載つてゐた雑誌を手にしなかつたので、初め私かに胸を躍らせる喜びを持たなかつた代りに後で残念に思ふこともなくて済んだ。初めて十月三日夕刊の「大阪毎日」の茶話*1でそれを読み、後に同じ日の「東京時事」の報道でそれを知り、次いでこれかれの人たちから親くその逸話を聞いた。更に近頃になって林若吉君から贈られた雑誌「同人」(第二十九号大正七年十一月)に接して内田魯庵君の「懺悔話」(キリシタンにていふコンヒサン)を一読すると共に、該小説の梗概と出典の解題とを知つた。(全集六巻、p88)
とあり、全集編纂時の注記として、著者の書き入れに、
「文藝春秋」(第五年第九号)昭和二年九月芥川龍之介追悼号(7-17)「れげんだ・おうれあ」(魯庵生)(参照。昭和二年七月三十一日「東京日々新聞」)
とあるとのことでした。魯庵本人の懺悔(sangue)も読みたいところです。

そういえば、新村出がだまされた、と話がかわってしまったものも読んだことがあるような気がするのですが、それがなんであったのかは分かりません。

*1:黌門客で引用されているものですね。