ふしぎ

以前から不思議なのだが、どうしてこれまで、契沖『和字正濫鈔』の影印版が出たことがないのだろう。だって『和字古今通例全書』の影印がでているぐらいなのに*1。まあ、『和字古今通例全書』には、それまで活字翻刻すらなかったわけだからそれを埋めるための影印ということなのだろうが、正濫鈔は活字しかないわけである。元禄六年(と刊記にある)本を出してもしょうがない、とかそんな考えがあったのだろうか。
そう言えば、『和字正濫鈔』には「契沖」の名が見えないのでしたが、それは影印を妨げる理由ではないだろう。まあ、文雄『和字大観鈔』だって影印も活字化もされてないのだから、しょうがないといえばしょうがないのかも。