伝説三態
稲尾和久『鉄腕一代』スポーツニッポン新聞社 昭和50.10.25
四人抜いて“あと一人”というところで、父は土俵にたたきつけられた。[……]父を負かした若者は、悠々と引き揚げて行ったそうだ。
この若者こそ、後の相撲界で大横綱といわれ、69連勝の金字塔を打ちたてた双葉山(後の時津風)である。
私が西鉄へ入団して、時津風理事長と食事を共にしたことがある。
私が父の話をすると、理事長はよくおぼえておられた。
『そうか。あの時の人が、君のオヤジさんだったのか』理事長は驚いておられた。
稲尾和久『鉄腕一代』ベースボール・マガジン社 1993.7.20
5人目にそれまで見たこともない若い男が現れ、「無敵」のはずの“横綱・久作”は、その若者に土俵に叩きつけられてしまった。[……]
私たちが生まれるはるか以前の話だが、後年になって父はよくその話を持ち出し、語るたびにそれを自慢した。5年目に負けた、その負けた話がなによりの“自慢のタネ”だった。
その若者こそ、のちに大相撲で69連勝という大金字塔を打ち立て、日本じゅうを沸かせに沸かせた不世出の大横綱・双葉山だったからである。[……]私が父の話をすると、「そうだったのか」と驚いてくれた。
稲尾和久『神様、仏様、稲尾様』日経ビジネス人文庫
四、五年も勝ち続けたおやじが、ある年、手ぶらで帰ってきた。なんとおやじを投げ飛ばした怪童がいたというのである。それが後の大横綱、双葉山だったという説がある。双葉山は[……]、おやじが三十歳の時に十三歳。六十九連勝の金字塔を立てた不世出の横綱であってみれば、ありえない話ではないようだ。のちに私がプロ野球選手となり、双葉山関と食事を一緒にさせていただいた時、そんな話で盛り上がった。
対比
「自慢のタネ」・「説がある」
「よくおぼえておられた」・「そんな話で」
双葉山
柳風子さんが、双葉山の地元での相撲のことを書いてくれています。
http://hiroark.blog.bai.ne.jp/?eid=118324
元版は、
http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABA44526438
1956年と言うことです。稲尾さんの新入団の年ですから、まだ会ってないのではないでしょうか、わかりませんが。
古く、
http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABA3725818X
こういう本もありますね。
私が見たのは、
- 作者: 小坂秀二
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
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双葉山の父親はむしろ小柄な人であったが相撲は好きで草相撲を取っていた。そんなことから定次少年も相撲は取っていたし、奉納相撲に出て勝ったりしていた。そのことは当時の『大分新聞』に「天津に怪童あり」という記事になって載ったりした。
とは、書いてありました。