中央アジア

シルクロードと唐帝国 (興亡の世界史)

シルクロードと唐帝国 (興亡の世界史)

序章とあとがき、それから本文の一部*1をまとめて、現代新書にでもして、出し直してもらえないものかと思います。もちろん、このままの形態で多くの人に読まれるのであれば、それでよいのですが。



私は、たまたま、「歴史小説」の中に入る豊田有恒『モンゴルの残光』を高校時代に読んだこともあって、西洋からの視線である「世界史」を嫌ってきた面があるのですが、学問的著作である、この森安先生の本を読んで肯くこと多く、現在の「世界史」が「西洋中心史観」によるものであることが広く知られて欲しいと思うものです。


また、高校での世界史教育への危惧から、そこへ積極的に関わってゆこうとする姿は、私たち、日本語を研究する人間も、国語教育に対して考えてゆかねばならない、と思わせるものでした。

しかし

出版社のページ
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=280705X
を見ても、特に「世界史を換えよう」という著書であるという売りにはなっていないようで、出版社にとっては「世界史」が今のままである方がよいのだろうか、とも勘ぐってしまいます。

ルビ

井真成」には、やはり「いのまなり」のルビがついていた。

おまけ

さらにショッキングな出来事は、二〇〇二年に『ソグド商人の歴史』と題するフランス語の書物がパリで出版され、しかもその執筆者がE・ドラヴェスィエールというフランスの若手研究者だったことである。本来なら、このような単行本はまず日本で出版されてしかるべきであるのに、完全に先を越されてしまった、その書物には我々に未知の情報も数多く含まれている。しかしながら、相当部分はすでに日本の先行研究で尽くされていることをまとめた感がいなめず、しかも本人は日本語が読めないため、我が国の多くの先行研究を見落としている。本書の出版は、シルクロード商業に強い関心を抱きながら日本語による業績へのアプローチを苦手としてきた欧米学界では大きな反響を呼び、早くも二〇〇四年にはその改訂版が出版され、さらにその英訳も二〇〇五年に出版された。改訂版には、吉田豊・荒川正晴そして私の三名が、彼と直に接触する機会を利用したり英文の書評において、増補修正のアドヴァイスをした結果もある程度は反映されているが、まだ満足できるものではない。しかし今後の欧米におけるソグド商人の研究は、日本語の幾多の業績を参照することなく、本書を中心に動いていくことであろう。残念ながら、これが日本史を除く世界の歴史学界の現実であるが、最先端の水準さえ保っていればいつかは報われるであろう。

pp.89-90

中央アジア史研究において、日本語が亡びかけた時。

*1:学問観(「理科系的歴史学・文科系的歴史学歴史小説」は序章だが)とか、日本の学問が世界をリードしてきた話とか。