本をめぐる話は楽しい。今日は、「忍頂寺文庫・小野文庫の研究」の集会だったが、展示もしてあって、そこで面白いものを見た。


 

アワヤ喉(コウ) サタラナ舌(ゼツ)に カ牙(ゲ)サ歯音(シオン) ハマの二つは 脣(シン)の軽重(キョウチョウ:キョウジュウ)」
というのは、江戸時代の刊本韻鏡の巻頭などに載せられる〈五音の歌〉で、これは言わば日本語の子音を、韻鏡の枠組みに分類したものである*1。ア行・ワ行・ヤ行は喉音、サ行タ行ラ行ナ行は舌音、カ行は牙音*2、サ行は歯音、ハ行マ行は唇音(ハ行は軽唇音、マ行は重唇音)と分類している。サ行が二個所に出て来るので、「ザタラナ舌に」となったり、「タラナは舌に」となったりすることもあった。

図は、享保三年刊の『新増韻鏡易解大全』(拙架藏)


 この韻鏡用語が、外郎売りの科白に中に出て来る。外郎によって、口中が爽やかになり、舌の回りがよくなる。それで舌もじり(早口言葉)をまくし立てるわけだが、その舌もじりの直前に、音韻学用語をほのめかすわけだ。
 この外郎売りのセリフはいろんなところに引用されるが*3、唇舌牙歯喉が訓読みになっていたり、ハマがハナになったりすることがある。これは、もっと後世にそうなったのだろうと思っていた。最後の「唇の軽重」だけは、「くちびるの」と読まないと後へ続いて行かないから*4、ここは最初から訓読みだったと思われるけれども、他は音読みであるのが、外郎売りのセリフとしても本来の姿だと思っていたのだ。

 さて、忍頂寺文庫の展示の中に「ういらううり」があり、これは二世団十郎の頃の本とのことである(外郎売りが当たったのは享保三年という)。どうなっているだろうと開いてみた。

あはやのと.さたらなしたにかきばにてはなのふたつは口ひるのきゃうぢうかいごうさはやかに
とある。見やすく書くと、
アワヤのど サタラナしたに カきばにて ハナのふたつは くちびるの 軽重開合さわやかに
で、既に全部訓読みになっているというのが、驚きだった。しかも、「ハマの」が「ハナの」になっている。これでは全く意味が通じない。「カきばにて」と、「サ歯音」を消してしまっているのも面白いが*5、「かきばにて」となると、本来の意味のように聞くことは困難だろう。これは、後世の外郎売りでは「かげさしおん」となっているものもあるので、セリフが口承か書承かという問題*6や、こうした「セリフ本」の作られ方*7などと絡めて考えると、いろいろ面白そうである。
別本の翻刻などもあるようなので、見てみたいと思っている。

*1:湯沢質幸「五音の歌」『文芸言語研究(言語篇)』(筑波)22号(1992)によれば寛永五年版韻鏡に見えるのが古い。湯沢氏の論には触れてられていないが、姓名判断(字音によるもの)にもこの歌の変形したものが使われることがある。「アワヤ土 ハマ水 サ金 タラナ火ぞ カは木なれども土につくあり」

*2:軟口蓋と中舌の音であるが、これを「奥歯の音」と捉えたものである。

*3:書物にもだが、ググっても沢山出て来る。

*4:五七五七七では終わらず、七五調にするために

*5:サの重複が避けられている。

*6:伝承の段階で、「五音歌」によって復古したことがあるのか、という問題も。

*7:耳で書き取るだけなのか、誰が書き取るのか、など。