幽霊語

http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20080411/1207927302
ここで、この幽霊語は、辞書の世界だけのことだったのか、と書いたが、用例があった。

いにし明和のころ風はけしかりけるとし、枝はふきをられてからのかきりたちからしになりにたり

書いたのは富士谷成章。「北邊和文」に入っている「天香具山松卓文臺記」(安永八年三月)。成章全集の下p.197。

幽霊語も辞書に

こんなこともあるので、幽霊語も辞書に載せておいて欲しいと思うものです。広辞苑レベルのものに載せるかどうかはともかく、日本国語大辞典クラスには載せておいてほしいものです。
実は、日本国語大辞典は、文語・歌語の用例が手薄であるように思えます。

江戸文語で上代幽霊語

さて、幽霊語といえば、新刊の『国語語彙史の研究 二十七』isbn:9784757604551収の、蜂矢真郷「語の変容と類推 語形成における変形について」。「幽霊語」という言い方はしていないけれど、万葉集など、上代文献の誤読・類推などによって生じた語についての論文。

たとえば、上代には「マシロニ」「マシロノ」しか無いけれど、後に「マシロシ」という形容詞が使われるようになる話など。蜂矢先生は、明治文語の例を挙げてらっしゃるが、江戸の歌語でも使われている。

吉備の国 雄神の河にあわゆきの ま白き亀を昔えしちふ

『平賀元義歌集』岩波文庫 590番

3021 追風に舟つきぬへきとものさと ましろはまへやかてみゆらむ

『江戸時代文学誌』4 p226 〈翻刻〉大隈言道『続草径集』(三)穴山健

この人たちは万葉風の語を使ったつもりなのだろう。鹿持雅澄『万葉集古義』では、「田子の浦ゆ」の歌の、今なら「ましろにぞ」と読まれるところを、

真白衣は、マシロクゾと訓べし、(マシロニゾとよめるも、むげにあしとにはあらねど、なほかくよむぞ古へなる、さるはマシロクといふときは、真白の詞用言なり、マシロニといふときは、真白の詞体言なり、この差異あることを弁へて、猶よく考ふるに、こゝの如きは、体言に云むは、しばらく後の風とぞ思はるゝ

としている。「真白にぞ」の方が「真白くぞ」よりも後世風だ、というのが面白い。

江戸時代の古語

蜂矢先生の論文は、この報告書にも入っているのだが、その報告書の中の、

  • 研究会編 第11回(特別)研究会「秋成―テクストの生成と変容」の記録

の中の、

  • 第3発表   『世間妾形気』の生成  発表者 駒澤大学 近衞典子

での、島津忠夫先生の発言。

『新編国歌大観』を作った立場から申しますと、とにかく、あれの利用は、中古中世の研究者には大変に役に立つものですけれども、近世の人があれを使うときには、よほど注意をしないといけないので、私はその編集委員会で、前の『国歌大観』が大変本文も悪いし、新しくやるのだったら、全部版本でやりなさい、底本は版本でやりなさいと、そういうことはいったのですけれども、全然聞き入れられませんでして、というのは私の周辺に辞書を作ってるその周辺に、近世の連中は沢山いまして、そんな古い写本で本文を作ったら、「われわれはそんなの使えないから」と盛んに言われたわけでして。

というのも関わってくる。万葉集については、寛永版本がよることの多いという西本願寺本の訓だけは取られているのだが、あとは「現代の万葉学の立場で最も妥当と思われる新訓」だけだ。

この国歌大観のように、万葉集のテキストというにとどまらず、ひろく、その影響関係をも索引によって、さぐろうとする用途をもつ本の性格からは、たとい誤読であることが明らかであっても、その長くよまれて来た形の本文をも示し、それを索引で検索できることが必要であると考えたからである。そのためには、各時代さまざまの訓が検索できることが望ましいが、それをこの「私撰集編」におさめる万葉集で実現することは不可能であるから、せめて二十巻揃った最古の本である西本願寺本の訓を採用したのである。

新編国歌大観解説ISBN:4049081083

ということで、校本万葉集の電子化が望まれるわけだ。
http://www.manyou.gr.jp/SMAN_1/
に、「DVD-ROMによる公開を計画している」とあるが、これは、その後、どうなったのだろう。