なるほど、これか

池田亀鑑『源氏物語大成』研究資料篇

 大澤家藏源氏物語
 大和の國大澤護忠氏藏源氏物語五十四帖は、古筆了榮・了仲の鑑定するところによれば、桐壺・帚木は清水谷實秋、空蝉・葵は大智庵其阿、夕顏は岩山道堅、紅葉賀は三條公敦、澪標卷頭・常夏卷頭は進子内親王、澪標は小倉實教、蓬生・鈴蟲は爲相、繪合は慈寛、朝顏は行能、野分及び浮舟の一部は柳原淳光、藤裏葉は家隆、横笛は後醍醐天皇、鈴蟲卷頭は阿佛尼、浮舟は爲氏が、それぞれ筆者に擬せられてゐる。他は前田夏繁の鑑定により、古きは西行・寂蓮などから、近きは里村紹巴に至る諸家が多數充てられてゐる。
 胡蝶裝桝形。料紙鳥の子。調査なかばに閲覽を中止しなければならない事情が起り、不十分であるが、その覺書を辿ると、本文は九行・十行・十一行など一定しない。大抵河内本であるが、必ずしもさうでないものがある。系統的にこれをみれば、大體次の四種に分けられる。
 青表紙本に近いがなほ小異があり、別本と認められるもの 帚木・空蝉・若紫・末摘花・紅葉賀・花宴
 河内本に近いがなほ小異があり、別本と認むべきもの 桐壺・賢木・蓬生・松風・薄雲・少女・王鬘・初音・胡蝶・御法・幻
 青表紙本 夕顏・野分
 河内本 葵
 別本 花散里・須磨・明石・澪標・關屋・繪合・朝顏・螢・常夏・篝火・行幸藤袴・眞木桂・梅枝・藤裏葉・若茱上・同下・柏木・鈴蟲・夕霧・匂宮・紅梅・竹河
 橋姫以下は調査未了、全體の再調も不可能な事情にあつたので、校異篇に採用することを控へた。戰火は免れたと思はれるが、今その行方を知らない。なほ横笛の卷は後醍醐天皇宸翰と傳へられ、吉野朝の特色をよく表した本で、七毫源氏のそれと風格を同じくするものである。


「その行方を知らない」とあったものが、出て来たわけです。

ここにも

同書の「源氏物語諸本の系統 序説」にも、大沢本が出て来るから、ついでに引いておこう。

 源氏物語の系統を分別し、それらの性格を明らかにするためには、先づ第一に現存諸本が博く搜査され、蒐集されることが重要である。所謂秘本と稱するものや、意味なくして死藏されてゐるものなどが、博捜されて、綿密に比較研究されることが必要なのである。校本萬葉集の編纂事業が學界に寄與した最も偉大な點は、どこにどんな本があるかを明らかにし、その本の價値づけを行つたことである。源氏物語も亦おなじ道を辿るべきである。すべてはここから出發しなければならない。
「校異源氏物語」から「源氏物語大成校異篇」に至る作業も、ここを目標として進められた。全國にわたつて捜査は續けられたが、必ずしも完壁の域に逹するまでには至らない。まだどこかに人知れず埋藏されてゐる本がないとは限らない。また戰禍その他不慮の原因によつて永久に滅びてしまつた本もあるかもしれない。博搜の手は一日といへどもゆるめてはならない。本文樹立の事業に完成の時はないのである。
 次に廣く蒐集された諸本の本文は、系統的に整理されなければならない。その整理においては、いかなる基準が用ゐらるべきであらうか。何を根據としてそれぞれの本交系統は分別されるのであらうか。これについて考へられる方法のうち主要なものは次の四種である。
  一、奧書(各卷の終りまたは一部の終りに存するもの)の記載事項を標準とする場合。
  二、青表紙本・河内本を對照して示した差異の條々を標準とする場合。
  三、諸註に引用せられた源氏の本文を標準とする場合。
  四、原本に近いと信ぜられる本を標準とする場合。
 右の四種の場合のうち、先づ第一について考へて見よう。凡そ奧書は多くの場合一部の卷末に存するのが普通である。即ち源氏物語にあつては夢浮橋の卷に存するのが例である。しかるに、場合によつてはこれが第一册目即ち桐壷の卷の卷末に存することもあり得る。元來奧書は、書寫の際、親本にあつたものをそのまま忠實に轉寫する場合もあるが、また時によつては校合に用ゐた異系統の本に存する奧書を、後から見れば、あたかも原本に存したかのやうに不分明に轉寫することもあり得るし、(例へば康永二年秉好法師奥書本の如く)また全然機械的に他本の奥書のみを校合もせずにそのまま卷末に書き寫す場合もあり得る。(例へば爲相とか釋正徹とかの奧書を傳へてゐる本の如く)またこの物語は元來五十四帖といふ多數の帖によつて成立してゐるから、その中の一帖乃至數帖が、何かの理由によつて缺本となり、それを或ひは心なく、或ひはやむを得ず、異系統の本をもつて補寫する場合が非常に多いのである。(例へば鳳來寺藏本・大澤家舊藏本等の如く)右のやうな事情は源氏物語において止むを得ない事であるから、たとひ夢浮橋の卷末に、河内本たることを證明すべき奧書があるとしても、それを根據として、直ちに全帖悉く河内本であると斷定することは絶對にできない。