「なります」その後

http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20050501/1294962613
の続きを書かねばと思っているが、出来ていない。


メモだけしておこう。
榊原昭二「世相語散歩」(月刊言語1990.3)

二点とか三点とか買ったとき「△△円になります」というのは抵抗がないが、一点しか買わないときにも「△△円になります」と言われることが多い。これも違和感がある。


渡辺実『日本語概説』(1996)pp.109-110

新幹線などの車内販売できまって口にされる
  千二百円にナリます
を、耳ざわりと感ずる人もあるかも知れない。これは本来は二品三品を買う客に対して
  (合計すると)千二百円にナル
と言っていたのが始まりで、それが一品だけを売る場合にも延用されたものに違いない。その延用を促したのは、代金として要求する金額は私の収入になるわけではありません、という、代理販売人の心理であろう。自分の意志や責任とは無関係な所でその金額であるのだ、というのが近頃の売り手の気質《かたぎ》なのだと思われる。


ケーススタディ日本語の歴史』おうふう,2002 pp.135-136

 (9)「ご注文のほうはお決まりですか?」
 (10)(注文したカレーを持ってきて)「ご注文のカレーになります」
(中略)
会計の際には「○○円です」よりも「○○円になります」のような言い方をするということは以前からあった(商業敬語以外でも,例えば目上の人から「東京に来て何年?」ときかれた際には「五年です」よりも「五年になります」の方が丁寧に感じられる*1)。(9)(10)はこのような理由で生まれてきた言い方と考えられる。

「年齢になります」については、

石垣謙二「作用性用言反撥の法則」*2(1942)

「といふ」とは名稱を表す場合に用ゐ、「になる」とは年齡を表す場合に限られるものである。現代語に於ても「私は何某といひます」「私は某歳になります」とは畢竟「私は何某です」「私は某歳です」と同じ意味を表してゐるのであつて「いふ」「なる」の作用としての意味を伴はぬ事明らかであるが、かかる用法の發生も實證し得る時代に屬するものである。

ほか

カモンオーン・コモンワニック,沢田奈保子「名詞述語文の日・タイ対照研究――認知語用論的観点から」(『言語研究』103(1993)pp.92-116)

 通時的視点ではなく、「状態変化を表さず,「AハBダ」に言い換えることができる「AハBニナル」を仮に"準名詞述語文"と命名し」

とあるのは、もう、新しい段階に行っているようだ。


森山卓郎『ここからはじまる日本語文法』(2000) pp.207-208

なお、おしつける言い方かどうかは、動詞の使い方にも関わっている。例えば、「(レジで)お会計は500円です」と言うより、「お会計は500円になります」のように言うほうが、「500円」という金額をおしつけない言い方になる。

こちらもか、とも思うが、これは、合計額の言い方。

なってます

「になります」問題には、「になっています」の形も考えるべきであろうと思っている。つまり、「になります」では違和感を感じても「になっています」ならOKという場合があるからだ。(ただ、このあたりの感覚には、年代によっては地方差がありそうだ、ということが、先日の談話で見えた。)

二階が私の書斎になります。七畳の洋室の書斎と六畳の和室の書斎とそれに四畳半の書庫になっています。

『私の書斎活用術』*3紀田順一郎」p.21

  • 佐藤琢三「ナッテイルによる単純状態の叙述」(『言語研究』116(1999) pp.1-21)

という論文もある*4

『言語研究』

ネット上にあるのだが、5月になるとURLが変わるらしいので、リンクは貼らない。
h ttp://info.jstage.jst.go.jp/society/nextj/index_j.html



https://www.jstage.jst.go.jp/article/gengo1939/1993/103/1993_103_92/_article/-char/ja/
https://www.jstage.jst.go.jp/article/gengo1939/1999/116/1999_116_1/_article/-char/ja/


言語学会で行っているらしい

※1号〜100号についても目次より論文本文をダウンロードできるようになる予定です。(作業中)

http://www3.nacos.com/lsj/modules/documents/index.php?cat_id=23

という作業は、無駄にはならないのかな。単純置換で行けるのかな。

補記

計算結果などを示す、〈常にそうなる〉という「〜になります」が、金額を示す際の用語となり、さらに、接客用語となり(さらに一般化)、というような道筋を考えています。
下は、以前、書いたもの。

「2に2を足すと4になります」という言い方は、古くからあるものです。これは、恒常性(いつでもそうである)をしめす形で、ある時に「2に2を足したら4になった」というような、一回性のものではなく、いつもそうなる、ということを動詞の原形(ル形)を使って表しています。「お買い物の合計額は四百円になります」というのも、その範囲に収まります。「個々の商品の金額を足して行けば、(常に)四百円になります」ということだからです。
 ところが、ここから離脱する形の「コーヒーは四百円になります」が言われるようになりました。コーヒーが四百円であることは、恒常的なことではないので、「〜になる」を使うにしても、「四百円になっています(この場では、四百円ということになっています」)であるはずですが、「四百円になります」が出て来たのです。これは「〜円になります」が「〜円です」と同じ意味の別の形である、と感じられたことによるものであろうと考えられます。「〜円です」のレジスター用語として「〜円になります」という言い方をする方がそれらしい、ということもあったのでしょう。
 これがさらに「円になります=円です」に留らず、「になります=です」と捉えられるに及んで、「コーヒーになります」の形が出てきたものと思われます。レジスター用語ではなく、接客用語に拡大した、ということでしょう。

*1:kuzan注。計算結果を示すものかどうかについては、述べられていないようだ。

*2:

*3:isbn:4061294946 1983 講談社オレンジバックス

*4:佐藤氏には、 http://db3.ninjal.ac.jp/SJL/view.php?h_id=1921181070 も。