「蜻蛉日記」


立命館の出題ミス
http://www.sankei.com/west/news/150206/wst1502060073-n1.html
http://www.ritsumei.jp/jp/news/pdf/headline150206-1.pdf
「(正)さわざわざしうかまへたまはず」
の出典は、このあたりでしょう。


「さ、態々しう構へ給はず」ですね、ちょっと難しい。


新編日本古典文学全集では
「なあに、そんな手のこんだ用意をなさらなくてもよいでしょう」
と訳してます。


「何か、さわざわざしうかまへ給はず」でなく
「何かは、わざわざしうかまへ給はず」としていた本文もあります。

七月十日にもなりぬれば世の人さわぐまゝにぽにの事年頃はま心にものしつるもはなれやしぬらむと哀なま人も悲しうおぽすらむかし。しばし試みてすら齋もせむかしと思ひつゞくるに、涙のみだり暮すに例のごと調じて文添ひてあり。「なき人をこそ思し忘れざりけれとをしからで悲しきものになむ」と書きてものしけり。かくてのみ思ふに猶いと怪し。「珍しき人に移りてなどもなし。俄にかゝる事を思ふに心さへ知りたる人のうせ給ひぬる、小野の宮のおとゞの御めしうどどもあり。これらをぞ思ひかくらむ。近江ぞあやしきとなどありていろめく者なめれば、それらにこゝに通ふと知らせじとかねて斷ち置かむとならむ」といへば、聞く人「いでや、さらずともかれらいと心安しと聞く人なれば、何かはわざわざしうかまへ給はずともありなむ」などぞいふ。「もしさらすぱ光だいのみこたちがならむ方こそともあれかくもあれ、唯いと怪しきを入る日を見るやうにてのみやはおはしますべき。こゝかしこに詣でなどもし給へかし」など唯この頃はことごとなく明くればいひ暮るれば歎きて、さらにいと暑き程なりともげにさいひてのみやはと思ひ立ちて、石山に十日ばかりと思ひ立つ。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991361/43

これらも
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1018057/103
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2627929/305

室生犀星

ついでに。

 七月も十日になり、世間では盆の準備にいそがしかった。あの人は幾年来母の盆供養のことだけは親切に見てくれたが、今年はどうなるのかわからない、二人の仲も離《か》れてしまったのかと、亡き人も悲しく思っていることだろう、しばらく成り行きを見てから仏の供え物も用意しようなぞと、しめり勝ちに思いつづけていたら、意外にも、例年の通り調えて来て、文を添えて届けられた。私はすぐに、
「亡き人をお忘れにならなかったと思いますにつけ、私の身はこの歌のなかにございます。『惜しからで悲しきもの(惜しからで悲しきものは身なりけり憂世そむかむかたを知らねばー後撰集、貫之)』」
と書いて届けた。しかし、とかくしているうちにも、やはりあの人の心意のほどが腑に落ちなかった。珍しい人に心が移ったわけでもないらしいのに、急に様子が変ってしまったのはなぜだろうと思いつづけていると、気心のわかった人が、
「お亡くなりになった小野の宮の大臣(実頼)のお側女《そばめ》の人たちがいる。これを思いかけているのではなかろうか、近江という女があやしい。」
などと言って、
「浮気っぽい人のようだから、まだこちらに通っていることを知らせまいとして、あらかじめ関係を断っておこうとするんでしょう。」
 そんな話だった。側で聞いている人が、
「いや、そんなことをしなくても、あの人たちは気がねのいらない人だそうだから、わざわざそんな手数なんていらないでしょう。」
などと言うのだ。
「もしかしたら、相手は先帝(村上)の御子《みこ》たちじゃないかしら。」
と疑う者もあった。
「とにかく、こんなに変るのを、入る日を眺めるような気持であきらめていらっしゃるのはいけませぬ、あっちこっちお詣りでもなさったら気もはれるでしょうに。」
 考えてみれば、明けても暮れても、同じことばかり言い歎いているので、ほんとにこの暑い時だけでもそんなことから離れてみたかった。ある日、石山に、十日ばかり、と急に思い立った。

http://id.ndl.go.jp/bib/000001246476


現代語訳 蜻蛉日記 (岩波現代文庫)

現代語訳 蜻蛉日記 (岩波現代文庫)

が、出ているんですね。室生犀星著作権切れの後に。