福中アインスタイン

きのうのツヅキ。

『福中福高/七十年史』(刊記なけれど、1987.5.6が七十周年の日)、pp.38-39に、

蓮池町の大博劇場(現大島眼科附近)で相対性原理について講演され、その際、福中の黒板を貸してその説明に用いた。几帳面な同博士が、いつも奇麗に消して講演を終られるのに、その時に限って消し忘れた残った図が『お互に運動する二つの座標系』、『太陽による光線の屈曲』『回転円板における幾何的関係』であった。大島六太郎氏*1は、急いでその黒板を持ち帰り、大切に保存されていたが、終戦後の物資不足の際、補習科の黒板に代用され、その後、行方はわからない。大切な遺産であり、残念なことである。
とあります。下部に写真があり、「記念のため白墨の上に透明ニスを塗って福中の物理実験室に保存した」との説明があります。この写真は不鮮明なのですが、『福中福高/六十年史』は文章こそ少ないものの写真中心のもので、やや大きく写真があります*2アインシュタインの書いた部分よりも、石原純の説明の方が多い。石原純著作権は切れていることでもあり*3、読める限り載せておきましょう。(既に載せている文献があるかな?)
(1)力學を創始して純正理學の基礎を?*4いたアイザークニウトン以降二百年この二十世紀の初頭に當りて偉大なる相對性理論を完成し物理學に儼然とした光明を與へたアルベルトアインスタインに對し私達は限りない尊敬と感謝とを捧げなければなりますまい.
(2)大正十一年十二月二十四日アインスタイン教授は福岡市に於て通俗講演をせられ私は其の通譯に任ずるの光榮を得ました 其際教授の用ひられた黒板を福岡中學校に於てその後保存せらるゝは實に後日の美しい記念であり又得難い學術參考資料であります.
(3)圖はお互に運動せる二つの座標系(左方)太陽による光線の屈曲(中央)廻轉圓板における幾何學的關係を説明せられたものです.
大正十二年二月八日 理學博士 石原純 記す
日付は一月半後ですね。ニスはその後塗ったのか、それとも石原純はニスの上から白墨ではないなにかで書いたのでしょうか。

追記 15:00

アインシュタイン・ショック』、立ち読みでみました。黒板の翻字もありました(現代表記ですが)。写真も結構きれいに出ていますね。「基礎をおいた」、なるほどそうよめそうです。「儼然」ではなく「燦然」というのは、確かに「光明」ならば。『六十年史』の写真も、それほど鮮明ではないのです。それから、石原純は黒板に自ら書いたのではないのでしょうかね。しかし、なぜ、九州大学の桑木アヤ雄*5ではなく、石原純に頼んだのでしょう。石原が通訳した、ということが重要なのでしょうかね。桑木は講演を聞いてないのか。なお、「通俗講演」という言い方に時代性を感じる、ということを付記しておきます。

などと。書いているうちに、higonosukeさんからコメント欄に情報をいただきました。重複しますが、そのまま書きます。

*1:直前の項目に「理化の大島六太郎氏(第四代教頭)」とある。

*2:写真説明は「七十年史」と同文。

*3:紅茶のページ―物理資料館―石原純『私たちの日常科学』などがテキスト化されているのを見つけました。

*4:「築」にしては簡素な字形

*5:アヤはIBM選定文字でWindowsなら表示される「紣」。なお、桑木アヤ雄の『黎明期の日本科学』(弘文堂書房1947.4.10)は、かつてうわづら化しようとしたのですが、紙質があまりに悪くて裏写り激しく放置してあります。すこし