「骨がらみ」

http://d.hatena.ne.jp/monodoi/20070630/p2
こちらの冒頭部を眺めて思い出したことをメモしておきます。直接の感想ではないので、メールではなく、独り言として書きます。

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「ほねがらみ」ということばは、伝統的には、梅毒などが骨にまで入ってしまう状態を言い*1、そこから派生して、抜け出せないような悪い状態を意味していたようである。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%DB%A4%CD&kind=jn&mode=0&base=1&row=9
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?dtype=2&p=%A4%DB%A4%CD%A4%AC%A4%E9%A4%DF

ところが、「がんじがらめ」というか、密接に関わっていて離れることが出来ない、という意味で使われることがあるように思われる*2


国会会議録(http://kokkai.ndl.go.jp/)で検索すると

政権党と軍事大企業がいかに骨絡みの関係であるか

特許庁と骨絡みになって仕事している

などある。


梅毒が骨まで入ってしまったように駄目になった状態と、骨ごと絡まってしまって動きが取れない状態とは通じる。

伝統的な意味に近く使っているのか、それを離れてつかっているのか判別しがたいものも多い。ただ、伝統的には、〈梅毒「が」骨がらみになる〉ように思われ、「に」「と」の場合は、それを離れているように感じられる。

旧来のものは、次のような感じ。

彼女には小市民根性が骨がらみになってみて、どうしてもそれを清算することができないのである。
小林多喜二「『独房』と『党生活者』について」)

試験にならないとノートをよまないという学生のときにつくりあげた習慣が骨がらみになっているのだろう
松田道雄『私の読んだ本』岩波新書 p213)

新しい使い方のもので活字に見えるのをあげると、

謡曲』は詩と演劇の相関ジャンルではあるが、その格別の幻想性と高度のアルージョンに満ちた修辞法とは、伝統的日本文学の幻想性と詩法に骨がらみにまつわる大きな秘密を持つものと考え、
由良君美「反小説の小説史スケッチ」『国文学』昭和53.12日本の小説を求めて)

音訓混淆主義とともに注主義は、日本語の文字表記に、骨がらみにまつわる問題となって今日に至ったわけであるが、
(由良君美「日本語の文字」『現代作文講座6文字と表記』明治書院)

由良氏は「骨がらみにまつわる」という言い方をされるようだ。

出版文化に骨がらみになった現代に生きる人々にとっては、年に十二部など、なぜそれが「飛躍的」などと表現されねばならないかと思われよう。
中野三敏『江戸名物評判記案内』p9)

社会的疎外感は彼の思索と骨がらみになっている。
(鈴木聡「サタイアの想像力」『ユリイカ』昭和63.4 平賀源内)

靖国神社が日本植民地主義と骨がらみの関係にあったこと
(高橋哲哉靖国問題ちくま新書 p82)

などなど。

web検索の結果は一々記さないが、「骨肉の争い」というような意味で使っている人もいるようだ。

*1:『大言海』では「黴毒性骨炎」という文字を当てる。

*2:林えり子『生きている江戸ことば』光文社新書ASIN:4087200450、「死語でしょう」と書いてあるけれども、意味が変わって生き延びているように思える。