羽田発、八時前十分〜♪
7時50分のことを、「8時10分前」ではなく「8時前10分」という具合に言うのは九州の方言である、と言われます。
「文研月報」5月号16シンポジウム「放送のことばと方言」柴田武を引用*1
2時55分のことを「3時前5分」という言い方─これは、福岡県と共に大分県の北部でもいうようですが、これは、考えてみますと、大変合理的な言い方で、東京では「3時5分前」といいます。
「九時前五分」「九時五分前」とは同じことか
- 日高貢一郎
「方言研究の社会的貢献〜医療・福祉との連携協力を〜」日本語学会発表要旨集2005春
知られざる地域差の発掘=(例)時刻表現「○時前△分」⇒北部九州で「9時前10分」。
時刻表現の「九時前一〇分」(八時五〇分)式の言い方は非常に合理的でわかりやすい。
- 添田建治郎
- 作者: 添田建治郎
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福岡県出身の私は、「二時五十五分」のことを「三時五分前」とは言わずに「三時前五分」と言う。これは、三時五分頃と混同しない重宝な表現である。二八○余名の学生にアンケートをとったが、「そのように言う。」と手を挙げた学生はいなかった。
山口大学にて。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110001019771/ (本文あり)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000439154/ (本文なし)
実例は?
水夫がその南京虫の待ちくたびれている巣へもぐり込んだのは、午前一時前十五分であった。
葉山嘉樹「海に生くる人々」http://www.aozora.gr.jp/cards/000031/files/863_22418.html
福岡県出身。
映画を見に行った。入ったのは六時半で、終って出たのが十時前二十分だった。
福岡県出身。
宮崎滔天全集第四巻 ASIN:B000J9CF2S p27とp394
時に三時前四分四秒也。
定刻午後三時前二十分から、帝劇一等席の看客と相成りました。
熊本県出身
徳富蘇峰「靈轜奉送の記」『蘇峰文選』 p1231
時に九月十三日午後八時前三十分。
熊本県出身
と、九州人が確かに目立つ。
あるいは、國民之友に見える以下のもの(明治ニュース事典6による)も、蘇峰と関連づけて考えてもよいかもしれないが。
午後一時前五分、例によりて鈴声は場の上下に響き渡りぬ。
時に午後七時前二十分。
しかし。
非九州
上奏案の議事は六時前十分、江原委員長の報告を以て始められたり。
平田久「新聞記者の十年間」 明治文学全集36民友社
京都府宮津出身。これも民友社と言うことで蘇峰との関連をこじつけることもできるかもしれないが、
午後三時前三――四分、
石川啄木「雲は天才である」http://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/4097_9491.html
言わずとしれた岩手県。
がらんがらんがらがらん、明治三十年七月十日午後一時前十分、横浜行の急行列車はまさに新橋停車場を発せんとす。
仙台で育つ。
七月六日 午前雨 午後晴 二十度攝
朝七時和蘭ノ国境ニ入リ税關ノ査ヲ受ク軍装ナルヲ以テ特ニ便ナリ/和蘭ノ国境ニ入ルヤ土壌黒ク牧畜盛ナリ/十時前十分Amsterdamニ達シ石黒忠悳日記抄(三) 「鴎外全集月報」38
陸奥国の生まれ。
と、東北の人たちが。
ほか
八時前五分。三本会に出席、九時帰宅。
『佐藤栄作日記』第四巻isbn:4022571446 1971.12.15
は、上記岡野信子論文で、老年層では山口県側にも「前○分」のあったことを思い出させる。
あと、書き手の分からないもの。
病勢にわかに革まり同十二時前三分の頃、ついに逝去したる次第にて
順次散會したるは午後十時前五分なりし。
○文相邸の文士招待會〔明治四二・六・二八『毎日電報』〕「鴎外全集月報」38
次に撤饌(テッセン)式の如く其の全たく祭典を終りたるは正午十二時前十分なりし
風俗画報-二五二号 人事門 日本国語大辞典「撤饌」より孫引き
例になるか?
これは、許容度が高そうな感じがするが、〈○○前の△△分間〉ではなく、〈○○の△△分前〉という意味では、方言的なのではないか、という気がする。
五時の定刻退庁時前三十分であった。
松本清張「ある小官僚の抹殺」全集37 p155
開廷(一〇時)前一五分に入廷し