映像トリック
叙述トリックの多くが、「書かない」という手法で成り立っていると思うが*1、映像トリックも同様のことがある。
「ドキュメンタリーは嘘をつく」というのもあったが、非特撮映像も嘘をつく、というところ。
http://ihistory.blogspot.com/2008/09/blog-post.html
こちらを読んで思ったことをメモ。
叙述トリック
叙述トリックというのが、言葉の問題を考える上で何か面白いことがないか、と思って、時々読んでいるのだけれども、なかなか、言葉の問題にからむものは少ないような気がする。もちろん、語り手によって文体を換えたりとか、そういうのはあるのだけれども、この言葉で誤解した、というのは、あまりないようだ。
ミスリーディングという言い方は
誤読か誤導か分かりにくいので、ミスディレクションのほうがよいか。
映像化不可能
というような惹句が、筒井康隆『ロートレック荘事件』に書いてあったが、文章化不能の映像トリックもあるだろう。
映像の中での一人二役なのか、描いている世界で一人二役なのかわからん、ということがある、という話は聞いたことがある。
あと、年齡の不釣り合いが、現実世界では許されなくても、許される、ということがある。「そういうもんか」と思ってみていたら、「そんなに若いわけないでしょ」と最後になることがある*2。
ただ、これらは、「映像」ということではなく、「演技」ということによるものだなぁ。
もう一度読みたくなるミステリー
というような惹句が帯に書いてあったのは、多分叙述トリックものだろうと思ったが、105円本には帯が残されていないのが普通だから、古本屋で見ても気付かないだろう。覚えるかメモすればよいのだけれども。